アーティストとして生きる2019年

2017年の冬からスタートしたBeauty in Mind.
多くの素敵な人生ストーリーをみんなとシェアしながらも、自分自身がインタビューをしつつ一番感銘を受けていたと思います。そしていつの間にかこの活動自体が自分の行動指針の軸となっていました。
そんな刺激的な日々を送りつつ1年と少し続けたこの活動ですが、ふと自分自身のこれからをどう生きよう?と問うと現在の自分自身の生き方となかなかうまくリンクせず、落ち込んだりもしました。そうなる度に思い出す私の尊敬する先輩の言葉。

20代はたくさん悩むもんなんだから。悩んだもんがちでしょ。

私まだ23歳じゃん。悩んで悩んで悩んでいいんだ。やりたいこと、やろう。そう思いながらまずは2018年の生き様を整理しました。得意のPPTで笑

 

ー激動の2018年「広く浅く人間関係を築く」

すごく、会社の資料っぽい…ですがお許しください。笑
まず、私の2018年を縦軸に「本業」「Beauty in Mind.」「プライベート」で切っています。この3つは切っても切り離せない関係性。本業が忙しすぎてプライベートが疎かになっちゃう、なんて最悪。絶対あり得ない、と思ってる人間です。

それが冒頭にあり、まず本業。今年は本当にたくさんのことを経験させていただいた年でした。ほぼ上司と1on1で最低3案件は常に同時平行で進めていました。仕事が煮詰まっても、大好きな尊敬している先輩の言葉

目の前のことに対して常に200%頑張る、丁寧にね。

を思い出しながらこなしていたら結果として目標に対し300%の達成に繋げることができました。ボーナスヒャッホーイ!って感じでしたが実際は自分自身お金にあまりモチベーションを感じないタイプなのでその過程を振り返ってじんわりと頑張って良かったなあ、と感じることができて幸せでした。

結果としてみれば簡単なこと….。実は、その過程で本当に辛いこともたくさんありました… ある日は本当に本当に辛くて家の前で母に電話をかけて号泣しながら鼻水じゅるじゅる出ながら「辞めたい。辛い。」などネガティブ発言をひたすら投げるといったこともしたり笑 「すぐ辞めなあ〜」と私の負けず嫌いで絶対に途中で辞めない性格を知っている母の意地悪炸裂。笑 なんでここにきても意地悪してくるのかとドSの母に愛情を感じつつも、いくつになっても母の偉大さに驚かされています。

そんなことがありながら、ひしひしと大企業であればあるほど「広く浅い人間関係を構築する」大切さを学んだ年。みんなで創り上げていく一つの事業に対して、言わずもがなそれぞれ個々が決して意思レベルが均一でなくバラバラなので本当にいろんな人がいます。ここが大きくベンチャー企業と違う所なんだろうなあ、と。 ビジネスだろうが人情が大切!派な自分にとって半信半疑だった言葉「ビジネスに私情は入れず、ロジカルにものを申すべし」は本当だった、と何度も思いました… ましてや自分はまだ入社2年目のペーペー。いくらロジカルに物を言えようが、まず相手の自分に対する「主観」から放った言葉たちのパワーが図られ、最終的には「好き嫌い」で判断されることも多々ある。そこも加味して、目標を達成するために毎日毎日考えてたら発狂しそうでした。いくら嫌なことをされたって、負けない根性がまず大切かも。

そして「人を嫌いにならない、愛を持って接する」ことの大切さもしみじみ感じました。相手を最大限に愛してあげることで不思議と相手に伝わり、仲良くなったりするもんです。

結論として、大企業であればあるほど人を愛し、均一に接することが何よりも大事なことだなあと感じた一年でした。

ー激動の2018年「アーティストとして生きる。」

自分のテーマ「Beauty in Mind.」としての活動も前進した一年でした。
今年の4月〜6月はメディアanother life.をタッグを組んで女性の活躍推進をするため様々な角度のテーマでイベントを開催。計6回のイベントを主催しました。

イベントを通して学んだことは、

Good
– こんなにも多くの女性が同じ課題感を持ち、イベントに参加することで壁を打破しようとしていることを知れた
– イベント開催のノウハウを知れた
– イベントを通してたくさんの素敵女性と知り合えた

Need to be solved
– たった6回の単発イベントだけじゃ本質的な女性活躍推進にはなれない
– イベント開催に対しての消費エネルギーと時間が大きく本業に影響する
– 自分自身のファシリテーション能力をさらに向上させる必要性がある

結論としては、やはり自ら行動して見える課題感があることが何よりもわたしにとっての成長の原動力であることは間違いないということでした。

2018年後半はイタリア・ヴェネチア留学時代の親友がアートの力で社会を変えていくトレモロ株式会社を立ち上げ、お手伝いという形で参画させていただくことになり、たくさんのアーティストと出会い、話を伺うことができました。
それまで自分自身はジェネラリストとして生きていく運命だと思い、将来は起業する夢のためにもまずはビジネスを学ぶためにいまの会社に入社したのにも関わらず、たくさんの素晴らしいアーティストと触れ合っていくうちにプロフェッショナルとして「アーティスト」として生きることに憧れを抱くようになりました。

全てゼロから自分の五感すべてを使って表現する、美しさ。尊さ。心の奥底にじんわりと伝わってくる世界観が愛おしすぎて。

いつの間にか、自分自身の1st Stepとしてまずは「ヘアメイクアーティスト」を目指したいと思うようになりました。自分の世界観を作り、それを持続していくためにビジネスを絡めて持続可能なクリエイティビティを生みたい。そんな想いでいっぱいの2018年の年末でした。

ー激動の2018年。「他人を精いっぱい、愛する。」

プライベートでは、いくら自分が嫌われたりしても自分は自分だと割り切り、相手を精一杯愛することの大切さを学びました。
基本的に幼い頃から争いごとが大嫌いで、平和主義でいるためにもやや八方美人ぶる傾向があって、何か嫌なことあっても笑ってればなんとかなる、なんて思ってた自分にとっては辛かった一年。笑
今年は人間関係においても対面で喧嘩をしたりすることが多く結果として問題なく終えるのですが真っ正面から相手の想う気持ちを伝えられるのは清々しい分、ダメージも大きく笑 自分としてのあり方を何度も見直した一年だったなあ、と。たくさん悩んだ分、絆は深まったと思っています。どんな状況においても相手を嫌いにならない、ことは鉄則として愛を持って接することの大切さを学びました。みんな、ありがとう。

そんなことを経て自分自身のパーソナリティに対する自信が今では100%です笑 今は私は私だ、と胸はって堂々としていられる気がします。

 
ーTo be an Artist. 2019年に向けて

ある日、彼氏に「アートってどこからなんだろう?例えば職人がつくるスマホはある一種の創造物であり、それ自体はアートじゃないんだろうか?」と聞かれました。
ひと呼吸置いて私が出した結論として「アートじゃないね。二次利用されてその人のために実際なるものだから、どちらかというと社会貢献に近いのでは?アートは、その人の感性によって作られる表現の一部じゃない?」と返しました。

よくアート=絵を描くアーティストをイメージする方が多いと思うけど、私はアート=表現方法だと思っていていろんなアートを生み出していきたいと思っています。

それがよさこいはもちろん、踊りながらプレゼンをするのもそうだし、言葉を音にのせて色にのせてみるのもそう。まだまだ違う形の表現方法があると思っているのでそこを追求してみたい。まずはヘアメイクから始めてみようと思っている2018年の年末です。

ということでご縁があり、実は1年前から準備を進めてきた専門学校Be-Staffへの通学を1月からスタートします。自分のアーティストとしての第一歩!楽しみ!
私だけでなく、この夢を経済的にも精神的にも応援してくれる彼氏には感謝。ありがとう。

やりたいことをやって、「夢」で終わらせないように。そんな社会づくりのためにもまずは自分が体現しないと。2019年もイノシシのごとく猪突猛進でいきます。
2018年もみなさん、ありがとうございました。
引き続き2019年もどうぞよろしくお願いいたします。

良いお年を💕

-2018年12月31日

アーティストから美容室創業者へ転身した理由とは

この度、ご縁があり初めてインタビュアー兼ライターとして記事を書かせて頂きました池田有里です。美に興味があったということと、新しいことに挑戦してみたいという思いから活動を始めさせて頂きました。

初めてインタビューさせて頂くのは、ヘアメイクの仕事を経て現在は個人で美容室を経営されている美容師のAcoさん。AcoさんのInstagramをたまたま見つけ、そこに載っていたヘアメイクの作品がすごく好みであったことがきっかけで、2年前からお世話になっている美容師さんです。いつも明るく社交的で魅力的なAcoさん。元々独立して自分自身の好きなことで稼ぎながら生きることに興味があり、どのような思いでその人生の決断に至ったのか伺いたくインタビューさせていただきました。どうぞ、ご覧ください。

-人見知りだった幼少期

北海道網走市出身で、両親と兄、弟の5人家族の間で育ったAcoさん。現在の社交的で明るい印象とは違い、幼い頃は人見知りで友達もほとんどおらず、1人で外に遊びに出かけては大好きな自然と戯れていたそうです。

そんな人見知りなAcoさんに変化が訪れたのは、中学生の頃。中学校では勉強に明け暮れる毎日で、負けず嫌いな性格が功を成しクラスで上位の成績と、部活では高校からスカウトが来るほどの実力を持っていたと言います。当時のAcoさんは部活動の顧問の先生が厳しかった影響からか、おしゃれができずボーイッシュな外見で同性のファンがいたほどだったそうです。

その影響からか、部活引退後の中学生後半からおしゃれに興味をもつようになり、おしゃれの仕方を学びたいと思うようになったといいます。

ー熱意でお母さまを説得。美容への熱い想い

そんなAcoさんが高校に入学すると、美容に対する熱意が爆発。それまで勉強が大好きだったAcoさんでしたが、美容の勉強に走り、様々な化粧品を使ったり美容やファッションについて雑誌やインターネットでたくさん調べたりしたといいます。誰もが悩むであろう次の進路を考える際には、美容専門学校へ行くと心に決めていたそうです。もちろん、厳格なお母さまは反対されたそうですが、お母さまを説得するためにあれやこれやと自分の「美容に対する愛」を語り、必死にアピールした結果、熱意が伝わったからか最終的には納得してくださったといいます。

自力でいまこの瞬間に「やりたいこと」を周囲の人に訴え、伝えること自体難しいことなのに見事お母さまを説得されたAcoさんの美容への熱意が本当にすごいなあ、熱意の裏の原動力は何なのか、インタビュー中に気になりました。

原動力は、Acoさんの幼少期にあるそうです。自称、極度の人見知りのAcoさんは毎回お母さまに連れて行かれる美容室が大嫌いだったそう。

当時のわたしは、美容師とも話したくなくて、言っても伝わらないし・・・くせ毛だから髪が難しくて思い通りになったことが1度も無くただただ苦痛な時間だったんです。本来綺麗になって居心地のいい美容室なはずなのになんでこんな嫌な思いしなきゃいけないんだろうって思ってました。

Acoさん自身、人見知りで自信がない人も「お洒落したい」「綺麗になりたい」という気持ちを楽しんでもらいたいという気持ちから、美容の道へと進んだのでした。

ー念願の美容専門学校へ入学、そして就職

当時、美容のなかでも人の外見を美しくする「ヘアメイク」に興味があったため、美容専門学校ではヘアメイクをメインにコースを選択していたそうです。そこで2年間学び、札幌の美容専門学校卒業後はヘアメイク事務所に就職されました。卒業したばかりで経験もほとんどない中、仕事に対してひとつひとつがむしゃらに頑張っていたといいます。毎日一生懸命生きているなか、ふとした瞬間に気がついたことがありました。それは、今のヘアメイク事務所ではヘアカットやアレンジ、カラーの技術が習得できないことでした。

Acoさんは、一度美容師になり全部できるようになってからヘアメイクに戻った方が力が活かせるのではと考え始め、ヘアメイク事務所を辞め、就職先をさがして巡りあえたのが運命の美容室でした。

ーネクストステージ、運命の美容室

運命の美容室との出会いのきっかけは、ヘアメイクの仕事をしていた時にお世話になっていたカメラマンさんから面白い社長がいると紹介を受けたそうです。ある日、その社長が経営する美容室のカラーモデルとして声をかけられ、運命を感じたacoさんは何度か来店するうちに、その美容室の魅力を感じ、ここで働きたい、と直感で決めました。美容師の技術の他にもカメラやモノづくり等やりたいことができる、と思ったことが大きな理由でした。

ー独立というチャレンジ

その後は順調に美容師として活躍をしていたAcoさん。美容師になってから5、6年目のあるとき、さらなるクリエイティビティを生むために独立を決意しました。

組織に属しているとどうしても周囲のタイミングに合わせ、自分自身のクリエイティビティに熱中できる時間が減ってしまいます。仕事の幅を広げるためにも自分で自由に使える時間が欲しいしもっと自由にチャレンジしてみたいと思ったんです。

今年の1月に念願のお店をオープン。現在ではアシスタントと共に営業しています。独立したことで、自分の時間ができ活動の幅も広がったと言います。

ーやりたい、と思ったことはやったほうがいい

将来は、大好きな海外で働きたいと考えているAcoさん。自分自身の成長のためにも「何事にも経験すること」を大切に考えていて、もっと経験を積んで自信を持ってから海外で挑戦してみたいと言います。

外の世界に飛び出し、挑戦することが1番新鮮でワクワクするんです。自分の足で色々なところに行って自分の目で新しいものを見て。今は自分のお店もやり仕事の幅も広がり自分に自信が持ててきたからこそ、今の自分ならどこに行っても大丈夫だと考えています。常に前へ前へと進むために、失敗してもいいからやりたいことは絶対にやるし、とにかくやらなきゃ気が済まないんです。笑

ー美しい女性とは

芯の強い人、ブレない人、イキイキしてる人。

個人としてパーソナリティがしっかりされている人は内面から表情に現れてきて、美しいなあと思います。自分もそんな女性になるために頑張っていきたいです!

●編集後記

Acoさん自身、色々な女性を接客されてきてまさにその経験が伝わってくるお話しでした。幼少期の美容室での経験から、お客様に寄り添った居心地の良い美容室を提供するAcoさん。今までしてきた経験が全て自信につながっているという印象を受けました。やりたいことはまずやってみるというacoさんの考え方にとても勇気をもらえるインタビューでした。Acoさん、ありがとうございました!

世界で大活躍中のJason DeruloのプロダンサーCahogold

世界的有名アーティストJason Deruloの専属ダンサーとして活躍するCahogold。
持ち前の強靭な精神を兼ね備え、幼い頃からの夢でもあった世界的に有名なダンサーとして活躍することを24歳で成し遂げました。
それだけでなく、今後のさらなる目標に向けて日々邁進され、その姿は周囲の人に刺激を与えてくれます。
彼女が話し出すと話に引き込まれていくような不思議なパワーは何千万人の観客の前で踊り続け、身につけた一つの魅力。
現在、拠点をアメリカに置いて世界を飛び周る彼女を独占インタビューさせていただきました。ご覧ください。

-身体を動かすのが大好きだった幼少期

名古屋生まれ名古屋育ちで、地元の幼馴染とともに幼い頃から身体を動かすのが大好きだったCahogold。4歳からバレエ教室に通い、その後は水泳やヒップホップダンス、ジャズダンスなど運動をたくさんしたと言います。
当時は、何をするにも幼馴染と一緒に行動していたそうで、今でも地元の名古屋での繋がりは濃く、成人してからも定期的に連絡を取り合っているそうです。

Cahogoldが一時帰国した際には幼馴染全員で集まるほど仲良し。
成人となった今、それぞれが自分自身の人生を全力で生きていてお互いにいい意味に刺激になっている時間だそうです。
幼馴染との出会いがあったからこそ、いまのCahogoldが存在している、日々ありがたみを実感する瞬間があるといいます。

-夢は、自分のダンスで人の人生を変えたい

幼い頃から身体を動かすことが好きで、ダンスに没頭していたCahogoldが人生の夢を見つけた瞬間。
中学生の時にふとYouTubeで見た世界的有名アーティストBeyonceの公演でした。
それまでは海外に行ったこともなかった当時、Beyonceのパワフルなパフォーマンスを見た瞬間に「私は、将来この人のダンサーとして踊っていきたい。」と確信したそうです。
当時は、Beyonceのいるアメリカに行きたい!と思いつつも、まだ中学生だったCahogoldは一人でアメリカで何もかもやっていく自信がまだなかった、と言います。
「大好きな家族や幼馴染がいる名古屋を離れる勇気がなかった、でも夢は絶対に叶えたいから。」と名古屋で海外交流が盛んな名古屋外国語大学に進学されました。

-名古屋外国語大学在学中の転機

海外への憧れを持ちつつ海外大学への留学制度も整う名古屋外国語大学に入学されたCahogold。大学の友達にも恵まれながら自分の今度の将来についてよく考えるようになった、と言います。
Beyonceの専属ダンサーとして活躍する夢を抱きながらも、ほとんど毎日ダンスに明け暮れる日々。そんなCahogoldの元に転機が訪れました。

どうしたらプロのダンサーになれるのか、海外に行けるのかを模索していた時、テレビ東京で放送されていた未来のスターの卵を見つける番組「ハックツベリー」でブロードウェイで活躍できる日本人ダンサーを募集していたのをたまたま見つけました。
すぐに応募してから面接が決まり、何度も面接を受けていく中で、そのパワフルなパフォーマンスが評価されて、一気に最終面接までのぼりつめ見事合格を勝ち取りました!

その後は冬にアメリカでの公演があるため、ついに念願のアメリカ行きの切符を手に入れました。
初めての経験で不安もありながら、ワクワクと期待を胸に人生初の渡米を自らの力で勝ち取ったCahogold。
本場の文化に触れながら、慣れない土地でプロのダンサーとして自分もダンスをしていたと言います。
アメリカでの公演を終えた帰国後、それまで抱いていたアメリカ生活に対する不安などは払拭され、アメリカでやって行ける自信がついたと言います。
友達に恵まれながらも2年間通っていた大学を休学し3ヶ月間単身でアメリカのニューヨークに渡りました。
大好きなダンスに明け暮れる中、各国から集まるダンサーを見てこう思ったそうです。

ダンスは、スポーツとは違い、ひとつのアート・カルチャー。
点数を付けられない、正解もないもの。正解がないからこそ日々追求していくと出会う新しい発見が面白い。

-歌手AIのバックダンサーに大抜擢

念願のニューヨーク行きを果たした帰国後は名古屋に戻り、
アメリカで各国から集まるダンサーを夢見るライバルとともに踊りきった3ヶ月間はCahogoldの大きな自信となったと言います。

その後は、たまたま地元の名古屋で尊敬するダンサーのRIEHATAがワークショップを開催する情報が入りました。
ずっと尊敬していたRIEHATAさんのワークショップを大好きな名古屋で開催する、この滅多にない機会を誰よりも絶対ここで仕事を勝ち取る精神で参加を決意。
フロアの誰よりも輝くことを意識して踊りきったCahogoldのそのパワフルなダンスがRIEHATAの目に留まり、その次の日に個別に連絡が入りました。
「あなたいいわね。仕事の話をしたいから電話番号を教えてもらってもいい?」と言われ、数分後電話に出るとそれは日本人歌手のAIのマネージャーでした。

何事に対しても一生懸命やっていると誰かが必ず見てくれていて、道が開けるんだと実感した瞬間でした。

自分の頑張りを誰かが、見てくれて評価してくれている… 常に周囲の支えてくれているみんなに感謝しながら、大ファンだったAIのバックダンサーになれる機会で最大限を力を出し切りました。当時は、Cahogoldを入れて6名が抜擢され、他5名は有名なダンサーで無名のCahogolが選出されたのは異例の出来事でした。
ちょうど、デビュー15周年の記念公演を全国50箇所で開催する年で一緒に全国を回って公演をされました。

-Jason Deruloの専属バックダンサーに抜擢

その後は、幼少期からの夢だった「自分の踊りで見てる人たちの人生を変えること」に向けて単身渡米したCahogold。
大学時代に培ったアメリカでの経験からなる自信を持ち、プロを目指す各国のダンサーたちと切磋琢磨する日々の最中、世界的シンガーのJason Deruloのバックダンサーを決めるオーディション情報が入りました。

応募総数のうち、選ばれるのはたった2人という激戦のオーディションは、毎年選ばれるのは体の大きいアメリカ人がほとんどだそうです。

それでも、アジア人にしか表現できないパフォーマンスがある。
その時は、私自身、私を120%信じていました。

その結果、見事バックダンサーとして大抜擢。
自分を最後まで信じきり、誰よりも負けない強い精神からなるダイナミックなダンスが評価された瞬間でした。

その後は、365日世界各国で開催される公演で舞い踊り続けるCahogold。
世界中の人々に感動と驚きのパフォーマンスを届け続け、人々の人生の思い出の1ページを創り上げています。

-Cahogoldが考える将来


プロのダンサーとして人々に感動を与え続けることをしながらも、今後は身体を使った様々な表現方法にも試してみたいといいます。

ダンスに限らず、例えば歌とかお芝居とか
ダンスだけではなかなか伝えきれない思いを表現してみたいです。

大きな夢を実現した後は、結婚して絶対に子供を産んで私の両親のような子供の夢を盛大に応援してあげられるような大きな心のもった温かい人間になりたいです。

-美しい女性とは

最後に、Cahogoldが考える「美しい女性」について伺いました。

男性からも女性からも「かっこいい」と言われるような女性だと思います。その「かっこよさ」は、どれだけ他人に影響力を持ち、人のために生きている人だと私は思うんです。

-編集後記

Cahogoldさんとは、対面でお会いしたことはなく知り合いから「すごい幼馴染がいる」と紹介を受け、アメリカにいるCahogoldさんとSkypeを介してインタビューさせていただきました。
インタビューをさせていただいてる最中でも刺激を受け、同世代で世界で果敢に戦うCahogoldさんの勇姿はまさに「かっこいい女性」だなあとしみじみ。
様々なオーディションで勝ち続けたCahogoldさんの人生談から得たものは、いかに「自分を信じきる力」が大切で、純粋に夢に向かって誰よりも努力することが大切か、ということでした。
これからも一人のダンサーとして、女性として活躍されるCahogoldさんを応援しています。-R.K

日系IT企業からWeWorkへ転職した理由とは

新卒でソフトバンク株式会社に入社してから人事を5年担当され、現在では、WeWorkでコミュニティマネージャーの一員として働いているShibata Haruka さんをインタビュー。たった2時間のインタビューの中でHarukaさんのそのお人柄に虜になってしまいました。

お会いして、Harukaさんの人生ストーリーを聞いてるだけで自然と自分自身にも生きるエネルギーがふつふつと湧いてくるような、そんな不思議なパワーを持つHarukaさん。

パワフルな笑顔とオーラで周りを圧倒するHarukaさんのこれまでの人生ストーリーから、現在、そして将来の目指す姿について伺いました。ぜひ、ご覧ください。

―海外への興味をもつキッカケとなった幼少期

神奈川県座間市の米軍キャンプ場の近くでご両親とお兄さんに愛され、のびのびと育ったHarukaさん。幼い頃から負けず嫌いで何をするにも自分の直感を信じて行動するタイプだったと言います。

そんなHarukaさんが小学2年生になったある日、近所にカリフォルニア出身の家族が引っ越してきたそうです。
その様子を見に行ったところ、バービー人形のようで、まるで映画の世界で見るような可愛い女の子に一目惚れをし、子どもながらにもすぐに仲良くなりたい、と直感で思ったHarukaさん。
英語も何もわからなかった当時は、子供用の簡単な英語辞典片手に一心不乱に家のインターホンを押して「Let’s Play!」で友達になれた、と言います。
憧れのその女の子と放課後はずっと遊びながら親交を深め、次第にHarukaさんの心の中で「もっと英語を勉強して、将来は海外に住んでみたい、日本と違う世界をもっと知りたい。」という目標ができ始めました。

そんな目標ができてからは、この英語に興味を持ったタイミングを逃さず、英会話塾に通ったHarukaさん。
日々英語を学びながらも、英語の先生サポートのもと、念願叶い、中学2年生の時にオーストラリアに短期留学をしたそうです。

自分の直感を信じて、周りを巻き込み、行動することはこの頃から培ってたものかもしれません。

―海外での大学経験から就職まで

小学生時代のカリフォルニアガールとの出会いはその後のHarukaさんの人生を「グローバルな思考」へと変えたきっかけとなりました。中学2年生で初めて海外に飛び出したHarukaさんはその後も英語を学びつつ各国の異文化に触れながらも、次第に「海外の大学で学びたい」と思うようになり、高校卒業後、大学留学にチャレンジします。そして念願叶って、カリフォルニア州立大学に入学されました。大学では教育、心理学について幅広く学びました。

その後は、ボストンキャリアフォーラムにてご縁あり、ソフトバンク株式会社に新卒で入社したHarukaさん。配属された人事部門で約4年間人材採用業務、その後約1年間は組織人事業務に携わりました。
就職活動で将来何をしたいのかを共に考えていく人材採用という仕事の中で、学生と話をしていく上で自分自身の生き方についても深掘りをしてよく考えるようになった、と言います。また組織人事として、日々社員と向き合いながら、海外企業とのJV立ち上げ、ダイバーシティー、働き方改革などの戦略を考える中で、会社のことのみならず、今後の日本、日本人にとって必要なことは何かについてもよく考えるようになったと言います。

やりたいと思ったことには自分に素直になり行動する。自分の感情を素直に周りにも表現をしていく。そんなキャラクターでこれまで人生を歩んできたHarukaさんが多くの学生の背中を後押ししてきました。

これまでのチームには本当に恵まれていました。素直なコミュニケーションが取れる関係で、これまでも今も、上司、先輩、後輩には感謝しかありません。

決して個人プレーではなくチーム一丸となって頑張るために、自分自身がミスをしたときも決して高ぶることはなく喜怒哀楽を素直に表現していた、と言います。時には、後輩の前でも涙を流したこともあったそうです。仕事で嬉しかったこと、悲しかったこと、感動したこと、チームで皆んなで共有できることはとても大切だと考えているそうです。
周囲に自分自身の感情を素直に表現することで「私」という存在が何を考えた上で行動しているのかを相手に知らせることができるサイン。
後輩に対しても先輩としていい意味で気を張らずに弱みも見せることでチームが支え合える関係になれるのかもしれません。

最高のチームで最高のアウトプットが出せる環境に恵まれ、ソフトバンクでの生活が毎日楽しくてしょうがなかったと言います。仕事でアメリカをはじめとした海外出張に赴く機会も多く、挑戦しながらも好きなことができた環境はHarukaさんにとって最高に居心地良いものでした。

そんなHarukaさんが最後の20代として新たな挑戦に挑もうと決意したのが「WeWorkへの転職」でした。

– 母の突然のガン宣告、最愛の幼馴染の死

最高に居心地の良い環境ながらも、30歳の節目に転職を決意したきっかけとなった、2年前の突然の愛する母のガン宣告。

愛する母が突然いなくなってしまうのではないか、という恐怖と毎日戦いながらも、人はいつ死ぬかわからない、と身をもって実感したHarukaさん。

さらに、その間に小学生時代毎日の様に遊んでいた幼馴染が小さな子供残して突然亡くなってしまい、深い悲しみに暮れる毎日を過ごされました。

人生何が起こるかわからない。いつ死ぬかわからない。
だからこそ、生きている私自身が今、この瞬間を充実させ、毎日を幸せだと思える人生を歩まないといけないと学びました。

そんな経験をもち、さらに自分自身の人生について深く考えるようになったとHarukaさんは言います。そうして出た答えが、WeWorkへの転職でした。

-毎日、目の前の業務を誰よりも一生懸命やる

元々前職のソフトバンクでは人材採用以外にも職場のダイバーシティを推進していく業務にも携わっていたHarukaさん自身、日本国内の女性管理職が世界的に見ても少ない現状に課題を感じていたと言います。
自分自身の中で、今後の未来を担っていく女性リーダーを増やしたい、とふつふつと感じ始めていたころ外資でスタートアップ企業のWeWorkが日本で人材募集をしていたことを知り、ご縁あって転職への切符を手に入れたのでした。

まだ日本にないビジネスのゼロからのローンチ。初期メンバーとして参加できるのは、今しかない。半年後ではもう遅い、今なのかもしれない、と直感で感じました。今後さらに女性が活躍する社会を作っていくにしても、自分自身がもっと多くのことを経験することが必要だと決心して勝ち取ったチャンス。

女性の管理職がたくさんいる今の環境に刺激を受けながら、世界各国から集うメンバーと立ち上げフェーズを頑張る日々。いろいろな強みを持ったメンバーがいる中で、「自分にしかできない」自分自身の強みを活かしながら目の前の業務を全力でやっている、というHarukaさん。日本でのマーケットシェア拡大のために0から立ち上げに携わる創業メンバーとしてプライドをもちながら働かれている姿は凛々しく、周囲を圧倒するほどです。

-女性が活躍できる社会づくり

WeWorkの業務の傍ら、以前から感じている女性が活躍できる環境づくりにも興味があるHarukaさん。

担当のWeWorkロケーションではイベントマネジメントも担当していて、ユニリーバ株式会社人事本部長を初めとした、実際に女性リーダーとして活躍されている女性を集め、モチベーション向上に向けたイベント開催も多々企画、運営をしています。

一つ言えることは、男性女性関係なく「Do What You Love」が大切だと思います。人生一度きりだからね。

−常に刺激的な場所に身をおきたい

5年前は転職するなんて微塵も思ってなかったんです。
よく、将来何なりたい?とか聞かれるんですけど、特にないです。笑
今を必死で生きるだけ。

そう笑顔で語るHarukaさん。

前職のソフトバンクでは人事を担当され、現職のWeWorkでも最初は人事として入社されましたが、とあるキッカケでコミュニティマネージャーチームに異動するチャンスを得ます。常にフロントラインで利用者と関わることはやりがいがありますが、大変なことも多い、と言います。大変なときこそ、できるだけ冷静に、今できることは何か、解決方法は何か、解決するだけではなくてプラスアルファを精一杯考えて、誠実に対応することを常に意識しているそうです。

一生懸命頑張ってればきっと誰かがそのプロセスを見てくれているし、結果を残せばそれ相応の報いがある、と強い眼差しで言います。前を向いて進んでいれば、引き寄せの法則でちゃんと良い方向に向いていくのです。気づいたら充実感に満たされた毎日になるのです。

人生はどうなるかわからないので、「あ〜私、今日も頑張ったなあ」と思える人生を歩みたいです。自分を毎日褒めれるってなんてハッピー!

−美しい女性とは

インタビューの最後にHarukaさんにとっての美しい女性とはどういう女性なのかについて伺いました。

自分の個性をちゃんと知っていて、飾らずに素直に真っ直ぐ生きている人だと思いますね。

「自分は自分で、できることとできないことは人それぞれあると思っていて、できないことはできないと言う、逆に得意なところで積極的に仕事を引っ張ってこれる人って強いと思うんです。もちろん、できないことに対してできるように努力することも大切。私は負けず嫌いなのでできないことはできるだけなくしたい。でも、強がりすぎず、女性のしなやかさを持つことも大切だと思っています。偽りではない、本当に自分が想うこと、感じることを周りに発信できる人って強いし、美しいと思うんです。いわゆる本音でしっかりコミュニケーション取れる人です。今日のこのインタビューも、本音すぎて、逆にブレてるかも。(笑)」

●編集後記

自分自身を客観視しながら、常に自問自答を繰り返すことで後悔のない人生を歩むことを心がけているHarukaさん。故に、人の目を気にせず、自分自身がどうしたいかを最優先で行動する姿はまさに「強靭」という言葉がピッタリだと思いました。私自身、今置かれている状況に少しでも満足していないな、と感じた時にはHarukaさんの生き方を見習い、自問自答を繰り返しながら後悔ない人生の道を選択していこうと思いました。貴重なインタビュー時間をありがとうございました。

自分の「想い」に素直になること

みなさん、はじめまして。今回初めてインタビュアー兼ライターとして記事を書かせていただきました小林遼香ことこはると申します。
5年前に上京し、いろんな人と出会い、いろんな人生のストーリーを聞くのが大好きです。
今年の4月にご縁あって鈴華さんと出会い、この活動を知ってから、自分自身「美しさ」という観点で日々刺激を受けていることに気づきました。
ただ、私自身「美しさ」をはっきりと定義できないことにも気づき、「美しさ」とは何なのか、この場を通じて私自身も模索しながら見つけて行きたいなあと思います。

さて、初めてインタビューさせていただいたのは武田奈津美さん。GDOゴルフアンバサダーオーディション2016でグランプリを受賞され、現在は小学館oggi_oggi.jpsでゴルフについての連載をもつ経歴の持ち主。武田さんと初めてお会いしたのは昨年で、しなやかな空気に圧倒されてなかなかお声がけできず、念願叶ったインタビューでした。

インスタからは、美味しいものやカフェ巡りをされ、ジムやホットヨガでストイックに自分磨きをされている様子を伺えます。そんな武田さんを知っていたからこそ、インタビュー前はお仕事もプライベートも充実されていて、生まれた時から私とは違う世界で生きている方なのかなあと思っていたりもしたんです。

そんな武田さんのインタビューでは、「仕事を辞めたいと思っていた」、「寿退社が夢だった」といった内容のお話を聞いて、武田さん自身も私たちと同じような気持ちをされていたりするんだなあと感じ、ちょっぴり親近感を感じました。

仕事とプライベートを両立したいと思っている方や挑戦したいことがあってもなかなか踏み出せない方は、武田さんの人生ストーリーからぜひヒントを得てみてください。私自身も武田さんのストーリーを聞いて、前は何かにつけて諦める理由を探し、無駄に時間を過ごしていたこともあったと気づかされ、前に進もうと思いました。

いわゆる”フツー”のOLだった武田さんを変えたものとは。

ぜひご覧ください。

ー人前に立つタイプの子供ではなかったんです。

埼玉県熊谷市出身で、仲良い近所の友達に囲まれ元気にのびのび育った武田さん。幼い頃から「可愛いもの」が好きで中学校はテニス、高校はチア、大学は野球サークルのマネージャーも経験されていました。華やかな経歴とは裏腹に集団のなかでとりわけ目立つようなタイプではなかったと言います。

ー寿退社が夢が一変、きっかけはゴルフだった。

社会人三年目になった頃、武田さんの周りの同期は、どんどん会社を辞めていく状況の中、何か自分自身の生きる環境を変えたいと思っていたそうです。そんななか出会ったのが「ゴルフ」でした。当時は「ゴルフ女子」が周りにいなかった武田さんは、ある日、女性の参加者が足りないと先輩に言われるがまま、仕事の一環と捉えてコンペに参加しました。その日をきっかけに「ゴルフ」が趣味になったそうです。最初はスコアが悪くても気にならず、半年に1回ペースでゴルフを続けていたと言います。

しかし、スコアが100台にのったところあたりからどんどんゴルフにのめり込み、「もっと交友の幅を広げたい、繋がりを広げたい」と感じるようになったそうです。そんなときにご縁あってGDOゴルフアンバサダーオーディションと出会ったといいます。

最終予選では、担当ラウンドでゴルフについてブログを更新しなければならなかった、2ヶ月で毎週ラウンドに行くようになった。

ゴルフに向き合う時間が増えたことでゴルフが持つ力ー個々のレベルに関係なく同じ時間を共有することーの素晴らしさをより一層感じたといいます。

ーゴルフの「敷居が高い」イメージ変えたいんです。

現在はご自身が広報塔となってゴルフウェアや人気ゴルフ場などゴルフにまつわることを発信している武田さん。その中で若者のゴルフ離れや地方のゴルフ場の衰退など目の当たりにし、最終的には、自分がプレイヤーとしてゴルフをプレーすることはもちろん、それ以外でゴルフそのものを発信したい、という想いになっていったそうです。目標に向かって、一日何かをしてレベルアップすることを意識して毎日の予定を入れている、と言います。

 

「とりあえず興味を持ったものは挑戦する経験して後悔はしたことがない。」

ゴルフ以外でも趣味で釣りも始めたという武田さん。釣りも世間ではゴルフと同じように「男性がする趣味」というイメージが強く、マスキュリンなイメージを打破することを目標に釣りに励んでいるそうです。人の目を気にせず、何事にもやりたいことには挑戦し続ける女性として尊敬します。

ー最後に、「美しい女性」とはどういう女性でしょうか。

「自信」がある人だと思います。「嫌」なことを「嫌」と断れる芯を持った人なんじゃないかなあ。

「ゴルフ」自体が男性的なスポーツでそんな世界にいるからこそ、ご自身が「ゴルフ女子」の模倣となるような美しく「自信」がある女性像になりたいと言います。

幼少期では、人前に立つことは苦手だったタイプだった過去の自分から、「ゴルフ」と出逢い外向的な性格へと変わっていた武田さん。過去にコンペに参加して自分の「交流の幅を広げたい」という素直な想いを無視していたら、いまの自分のやりたいに素直に応じる自分はいなかったんじゃないかなあ、とつくづく感じるそうです。自分の想いを信じて何事も挑戦することで見えてくる新しい自分との出会いもあるんだなあ、とインタビューを通じて感じました。

○武田奈津美さんのインスタ
素敵な写真がたくさん投稿されています!!
@_natsumitakeda_

世界の頂点を目指して、貪欲に努力する美女とは

フィリピン人のお母さんと日本人のお父さんのもと、フィリピンで生まれ日本で育った園田悠希さん(24歳)。光る黒髪が麗しく、眼差しは力強くも目の奥は優しい心をもっている悠希さんの過去、現在、そして壮大な夢をもつ将来についてインタビューさせていただきました。ご覧ください。

自分のアイデンティティを探る幼少期


フィリピン生まれで幼少期はフィリピンで育ち、小学生のときに日本へ渡った悠希さん。
当時、フィリピンは今よりも断然治安が悪く、悠希さんが育った地区では物乞いをして必死に生きるストリートチルドレンなども多くいたそうです。
そんな環境下で育ち、日本へ渡り、まずは言葉の壁に当たったといいます。
通っていた小学校では、「外国人」扱いをされ、毎日とても辛い想いをしたそうです。
そんな最中、自分自身はフィリピン人なのか、日本人なのか、アイデンティティはどこにあるのか、常に自問自答していた毎日を繰り返されたといいます。

ビューティークイーンとの出会い

幼少期は毎日つらい想いをしながら学校に通いつつ、常に目指していた目標がありました。その目標は、将来は「ビューティークイーン」になることだったそうです。

フィリピンでは、「ミスコン大国」と称されるほどミスコンが社会的にも貴重と捉えられています。その背景として、貧富の差が激しい国にとって、ミスコンという舞台は日本でいう「宝くじ」のようなもの。自分が努力すればするほど美しくなり優勝すれば一獲千金。一般女性が雲の上の存在になれる過程にロマンを感じる人が多いそうです。
母国のフィリピンで放映されるミスコン大会の様子を毎回家族とチェックした、と悠希さんは言います。

自分のアイデンティティを探索しながらも、常に自分がどうありたいのかを考え続け、日本が大好きなことや将来的に可能性のある国でビューティークイーンを目指して自分も挑戦してみたい、という気持ちがあり日本で初めてミスコンに挑戦されました。


そのミスコンは「ミスフィリピンジャパン」という日本に住むフィリピン系美女のためのミスコンでした。
右も左もわからないなか、表現することが得意な悠希さんは憧れのビューティークイーンの動画を何度も見たり、ミスコンが大好きな叔父と一緒に魅せ方を研究したりと、試行錯誤された結果3rd runnner-upとして見事入賞されました。

その後は、世界5大ミスコンの「ミスワールドジャパン2015」に出場。ファイナリストとしてご活動されました。

フィリピンと日本のミスコンのギャップ

ミスワールドジャパンに参加後、思い描いていたミスコンの現状と大きく違うことを実感し、苦しんだと言います。

フィリピンでは、ミスコン主催者が本質的な美を熟知し、真のプロフェッショナルとして活躍されている人がミスコンを運営しているケースが多い現状に対し、日本では美とは全く関係ない、ただ経済力がある人がスポンサーとしてついて主催しているケースがほとんど。

そのため、日本ではファイナリストたちが本質的な美を純粋に終える環境が整備されていないことが多く、スポンサーの「お金稼ぎ」の要員として活用されてしまう現状があります。そうなってしまうのも日本でのミスコンの社会的立ち位置が低いことが起因しています。

ミスワールド大会を通して、現状を知り、このままフィリピンへ戻るか、それとも日本でもう一度挑戦していみるか迷っていたころ、ご縁あって「ミススプラナショナルジャパン」への挑戦が決まりました。


悠希さんが挑んだ年のミススプラナショナル日本大会はファイナリストがみんなフレンドリーで楽しみながらファイナリストとして活動できたといいます。

最高の環境で自分自身を表現した結果、準優勝を獲得。悠希さんにとってビューティークイーンになる夢に一歩近づけた経験となりました。同時に、大会を通し、「真のビューティークイーンになるためには」を考え続けた日々。結果、外見の美を追求することはもちろん、最強の知性をつけて内面からオーラ溢れる女性へと成長するために大会後は在籍している立教大学法学部でひたすら授業を受け、マナーや丁寧な話し方を学ぶ為、大学と同時進行でエアラインスクールへも通っておりました。

世界大会で活躍

ミススプラナショナルで準優勝を獲得後、外見と内面を同時に成長させるために日々努力していた悠希さんのもとに世界大会への切符が届きました。

「ミスアジアパシフィック」という世界大会に日本代表として出場することが決定したのです。開催地は母国フィリピン。タガログ語も堪能な悠希さんは現地のトレーニングでもスタッフと親しく、世界各国から集うファイナリストとも会話を弾ませながら楽しめた、といいます。

現地のスタッフさんと和気藹々としながら挑んだ世界の舞台では、見事top10に入賞、悠希さんのイブニングガウンがなくなるというハプニングがありながらもその朗らかな性格で周囲の助けを借りながらなんとか日本代表としての舞台を終えることができました。この大会を経て自分自身は本当に貪欲に「ビューティークイーン」を目指したい気持ちがあることに気づいたそうです。

ビューティークイーンとして母国、そして世界を救いたい

帰国後、ビューティークイーンになる夢を持ちながら、自分自身の将来についてよく考えるようになったという悠希さん。将来は、自分自身の生まれ育ったフィリピンの社会支援に携わりながら、ビューティークイーンとして任務を遂行したいと言います。
日本で「真のビューティークイーン」になるためにはどうしたらいいのか。
本当の意味での「美しさ」とは何なのか。
それは、外見はもちろん、内面としても知的で「最強」にならないといけないと思うんです、と語ってくれました。
「最強」の美しさを手に入れるために、今日も悠希さんは努力を重ねています。

最後に、インタビューを通し、自分の夢に向かってこんなにも貪欲に純粋に夢を追っている悠希さん自身が純粋に美しく、無謀と言えるチャレンジを成し遂げられるのではないか、と期待しています!
友人として尊敬できる素敵な女性です。
いつも応援してるよ!^^

—to be continued.—

世界で一番美しいのは、日本人だ。

美しさを追求し始めた原点

今回は、そもそも私自身がなぜ「美」に興味を抱いたか、のお話をします。

自分が「美」に興味があることに気づいたのは就活の自己分析のとき。
幼い頃から何を頑張るにも「中身も外見も美しく、輝く女性」となるために大学受験や習い事、人に対して優しく接することを意識していた自分がいたことにやっと気づいたんです。
この考えに大きく影響をうけたのは母。
とくに、「内面」という観点で知性があることや自己利益だけでなく他者を第一優先で思いやる心のある女性は見た目にも現れる大切さを教えてくれました。
わたしの母は「女性」として生まれたからこそ楽しめるファッションやメイク、振る舞い方までを教えてくれました。洋裁師の祖母は、ジャストサイズで「わたしにフィットしたデザイン」の服を作ってくれました。
わたしの「頑張るモチベーション」はいつだって純粋に「知性ある、美しい女性になりたいから」だったんです。

アジア人として生まれたことを悔やんだ日々

TOEICの点数は460点の状態で16歳の時にひとりでカナダへ交換留学に行き、右も左もわからないわたしはアジア人として差別され、揶揄された経験があります。
カナダの公立高校に通っていましたが、廊下ですれ違うたびに「Yellow」と言われ、自分自身が日本人であることを後悔しつつも、こればかりは一生背負っていかなければならない宿命である現状に絶望した毎日。
次第に高校にも行きたくなくなり、不登校気味になりましたが、海外で過ごすチャンスをせっかく得たのだから勇気を振り絞って友だちを作ろうと地元のバレー部に入部し、部活に行き始めました。
中学時代、バレー部のキャプテンを務めていたのでバレー自体には自信があり、練習の成果もあって、チームでNo.1の賞を受賞するも、仲間からは「日本人強ぇ〜」と皮肉じみた言葉や目線でわたしをみていたのは変化しませんでした。

日本人であることに個性を感じ、幸福感に包まれた日

そんな時、2011年の3月。いつものように憂鬱な気分で学校へ行く身支度をしていたときの朝でした。
テレビで報じた「東日本大震災」の様子。
いつも見ていた光景は、めっきり破壊された姿になってしまった日本。
人々は、家族と連絡がつかず、安否確認さえもとれない状態。
そんななかでも、他者を思いやり、スーパーのレジではきちんと列に並んで商品を精算しようとする日本人の姿。
いつでも他者を思いやり、じっと回復をまつことのできる辛抱さを海外メディアでは絶賛されていたのを知り、
自分自身が日本人であることに幸せを感じた日でした。

現地の同世代の子たちにどう言われようとわたしは、わたし。
日本人であること自体、貴方たちよりも心は美しいはずよ。
と言い聞かせていました。

世界一美しいのは、日本人だ

そんな状況下で、たまたまカナダテレビで放映されていた「ミスユニバースカナダ」のショーを拝見したとき、
単純に「日本人贔屓」気味だったわたしは「シャイで表現も下手な国民性だけど、他者を思いやれるところや表現をあえてぼかす日本人」に美徳を感じ、
ミスユニバースは日本にもないのかとネットで調べ「ミスユニバースジャパン」を知りました。

2007年には、日本人の森理世さんが優勝、2008年には、知花くららさんが準優勝していた事実を知りました。
まさにわたしのなかの「日本人は世界一美しい」定義が証明された瞬間でした。
そんなふたりを育てあげたのがフランス人ディレクターの「イネス・リグロン氏」

それからイネスの本を貪り読みました。
彼女の著書のなかで、

寡黙な国民性は、世界目線でみると、「表現下手」で終わってしまう。でも日本人はただ寡黙なわけではない。いろんな感情や想いを来るべきタイミングで発するために考えながら貯めることのできる我慢強さがある。
そして、何か仕事をふられても、必ず「頑張ります!」と返してくれるでしょう。
「頑張る」ことのできるすばらしい国民性なのよ。

と日本人を評価してくれています。

そんなすばらしい彼女のもとで、一度学びたい。
彼女のレッスンを受けてみたい。

この時感じた想いは心の奥底にしまい、帰国後はまずは大学受験と必死で英語を勉強したのでした。

そして念願の早稲田大学国際教養学部へ入学。ミスユニバースなどのミスコンにも挑戦したのでした。

女性として生まれたことに喜びを感じる一瞬を。

そんな経験を経て、現在はIT系会社に勤め、WEBマーケターとして在籍。
現在では、男女平等参画により女性の社会的立場も対等に近しい状態となり、働きやすい環境になった半面、
「自分自身が女性」として存在している事実自体を考えず日々の業務をこなしている働く日本人女性が多い現状。

思えば、「女性だなあ」と感じる瞬間。女性にしかわからない女性であることの喜びを感じる瞬間は朝のメイクの時間、夜大好きな彼氏とデートする前のおめかしの時間、結婚式できるウェディングドレスを選びにいく時間、3月3日ひな祭り、など。

日々を忙しく生きる働く女性に「いつもと違うわたし」でいることによるその日を生きるモチベーションの変化。

ここを追及していきたいなあ、と日々思う所存なのです。

There is no limit to what we, as women, can accomplish.

「誰よりも失敗した」台湾人起業家が考える美しい女性とは

現在、パートナーの2人で経営するAWE(人材エンパワーメントコンサルティング会社)のオーナーで台湾人のDanaさんにインタビュー。
発する声は、どしんと相手の身体をうずめくような重みのある声で一度も海外に行ったことのない彼女でも流暢な英語でお話しくださいました。
終始、緊張感がありました。
経営者として、信念の強さが圧倒的な存在感を醸し出している雰囲気のなか、一つの記事だけではまとまりきれないような内容の濃いお話を伺うことができました。
ご覧ください。

誰よりも失敗した自信がある過去

台湾国際大学で学び、その後は会社に就職せず、台湾人同士の男女関係を露呈し、女性のエンパワーメントや教育を行うコンサルティング会社をパートナーと設立。

もともと、「企業に勤めて働きたくない」モチベーションで自分で会社を立ち上げた、といいます。

幼いころから、厳格な仏教徒で父・母の3人家族で過ごし、幼少時代から喧嘩が絶えず、家庭内離婚状態が続き、二年前に両親が離婚。経済的理由で喧嘩が増えていったといいます。もともと、仏教徒ということもあり、現実主義だったDanaさんはそのころから生きていくためには自分がしっかりお金を稼ぐ必要がある、意識があったそうです。

当然、幼いDanaさんにとって両親が別々の生活を始めることは辛いこと。そのころから、仏教の教えを信じていくようになったと言います。

何をするにも理由がなく、理由を求め、地域のグループとつるみ、夜はクラブへ行き踊り狂ったりしたといいます。

やるせない毎日。生きる意味が分からなくなった日々。失敗も増え、生きていること自体が失敗だったのではないかと自問自答し続け、頭を悩ませた日々。

そんな彼女を救ったのはいつでも本との出会いがありました。
本は著者の考え、感覚がすべて詰まった傑作。行動の裏の理由を見つけるために本屋に行って、ひたすら世界観に浸ったといいます。
日本人著書「嫌われない勇気」も今のDanaさんの考えに大きな影響を与えました。

自分の経験をシェアするコミュニティがあることで
わざわざ失敗しなくてもいい

「私自身も、人生に失敗して、本という存在がなかったらを考えると今頃死んでたかもしれない。」今日の台湾人でも親や先生に人生の生きる道、やるべきことを強要され、自分というものがわからなくなってしまう人が増えているといいます。

失敗も経験のうちというけど、人はわざわざ失敗しなくてもいい。
それよりも自分がどう生きるかを明確化させてその過程のなかで失敗することを恐れず道を歩むべき。

失敗しても守ってくれる人がいるから、失敗すること自体になれていない今日の人々。

自身の経験から、生きる道を明確化させたときの失敗が最も人を豊かにする、と明言しているDanaさんは自分の人生のストーリーや繋がりをもたせるために何度かセミナーを開催しています。

繋がり、人生ストーリーをシェアする経験を求め、セミナー初回は30名が集まったのにも関わらず、現在では200名を超える応募があるといいます。

We want more relationships, We want someone we wanna talk.
Ability is not followed, who cares. Living concept will be followed.

繋がりを求め、誰かと話したいと思うのが人間。
もはや、才能よりも人間力が試され、何をするかで評価される。

美しい女性とは

Danaさん自身、幼少時代から自分自身が「女性」と意識し始めたのは遅かったため、あまり「女性であること」自体について考えたことはなかったといいます。

台湾でも、日本と同じで亭主関白時代が長かった歴史的背景があり、現在では男女平等の社会へ変革してきているといいます。

そのうえで、美しい女性、とはどのような女性か。

他者になにかされたり、なにか言われても動じない女性。

とDanaさんは言います。
自信があったり、経済的にも独立している女性は多くなってきているが、他者とのコミュニティのなかで生きているとどうしても他人の目線を気にしすぎ。
それでも自分のやっていることや発していることに自信があってなんとも思わない女性は強いし、Danaさん自身も目指しているところだそうです。

ただ、女性の社会的立場が高まるなか、男性ばかりに変革を求めるのは違うのではないかとも言います。

男性も男性で、専業主婦のお嫁さんをもらったら、家族分の生活費を稼いでいかなければいけないプレッシャーがある。

本質の意味での「男女平等」社会の実現のためにするべきこと。
男性もプレッシャーを感じていて、そのプレッシャーを女性が理解すること。

人は誰でも弱さがあり、その弱さをシェアするコミュニティを作ることで少しでもその人自身の生きる道をコンサルしていくDanaさんは強く、芯から輝いていました。
私自身もインタビューしながら、学びを多くいただきました。
自分が選択した道での失敗を恐れず、自分で物事を考えていくことで自分のなかでの解がみつかり、大きな自信につながります。
Danaさんありがとうございました!

Thanks very much Dana san! I wish to see you again and hear about your next story:)

”noii noii”ブランドオーナーEstete Hsueh

台北で活躍する「noii noii」ブランドオーナーのEstete Hsuehさんをインタビュー。
芸術学校で国内No.1の實踐大學を卒業し、台湾人デザイナーのもとで働いたあと、自身のブランドを立ち上げました。

そんなesteteさんの独特な世界観やブランド立ち上げにいたるまでの経緯を取材。
将来の夢などを伺いました。

スペイン大好きで陽気で愛らしい雰囲気をもったEsteteさん。
ぜひ、ご覧ください^^

小さいころからモノづくりが好きだった

父と母とミュージシャンの姉の4人家族で台湾で生まれ育ったEsteteさん。
幼いころからモノづくりが好きで、とくに粘土で何かを作るのが趣味だったそうです。
その影響で芸術の道へ進み、大学では芸術で有名な實踐大學に進学。
150名を超えるクラスメイトとともに切磋琢磨しながらファッションデザインを専攻し、課題をこなす日々を過ごしたそうです。

実際にEsteteさんが自分自身でデザインし、パターンからファブリック、すべて自分で作った作品。
制作時間は2週間で毎日の睡眠時間はほぼ3時間で仕上げたそうです。
ボタニカルスタイルで当時にしては珍しいデザインで周囲からは「何を作っているの?」とよくからかわれたりもしたといいます。
周囲からの目を気にせず、自分がいいと感じたものを大切に。制作に臨んだ結果、2012年に作成したこのデザインはなんと学年で1位を獲得。

インスピレーションは日常に溢れているの。このとき、一位をとれたことは正直なんとも思わなかった。その代わり、周りになんて言われようと自分が感じる感性を信じることが大切なんだって知れたことが大きな財産だったの。

自分の世界観を表現することに興味をもち、体現できる喜びを自分が一番理解していて周りにもその雰囲気が伝わったのか、クラスメイトには「Esteteは将来ブランドオーナーになるんでしょう。」とよく言われたそうです。

スペイン・サラマンカ大学へ留学


国立台北芸術大学を卒業後は、在学中も大好きすぎてちょくちょく訪れていたというスペインで一年間過ごしたEsteteさん。

スペインに興味を持ち始めたきっかけはスペイン語の「感嘆記号」がかわいいから。という理由だそう。
デザイナーの感性らしい理由だとスペイン人に言われたそうです。

スペインでは友人と過ごしながら、スペイン語を勉強に励みました。
スペインの文化や雰囲気が大好きでこれまでに一人で4度も訪れたそうです。

noii noiiブランドを立ち上げるにあたって

スペインから帰国後は、実際にブランドのアトリエで働きたいと思い、有名ブランドデザイナーのもとで働くことになったEsteteさん。
これまでの知識をフル活用しながら、ビジネスの世界を経験できると思い、気分は高揚していたそうです。
しかし、そこでの仕事は地獄そのもの。3か月間、無給で毎日夜の1時まで仕事をしたといいます。

せっかく入った世界。もうすこし自分ならやれると自分に鞭をうちながら、4か月間働き、
その後は、自分で作りたいものをマネジメントできるような環境で働きたいと思い、
ついに退職。自分のブランドを立ち上げることになりました。

noii noiiは現在、ファッション、陶器、小物プロダクトを展開中。
なかでも、陶器はEsteteさんが一番得意とするプロダクトだそうです!

noii noiiブランドを海外展開したい

最後にEsteteさんにブランドの将来についてお話を伺いました。

私自身、海外旅行が大好きなんです。
何かおいしいものを食べたり、観光地に行くことも好きですが、一番は未知の世界に触れる感覚が好き。
ああ、今わたし最高に生きている!と感じるんです。
だから、台湾人のわたしのブランドも世界に展開して、
みんなに新鮮な気持ちを届けたい、て。そう思うんです。

インタビューを通して、世界にも私自身と同じくらいの歳で戦っている戦士がいたんだなあ、としみじみしました。
今回の台湾トリップで、台湾人は日本人よりも必死に生きている人が多い印象を受けました。
会社に守られながらなまぬるい環境で生きている日本人に世界にはこんなに戦っている戦士がいたんだぞ!と伝えたい想いに溢れながら、いま記事を書いています。
引き続き、Esteteさんとコンタクトをとり、日本にブランド展開する際に少しでも手伝うことができるようにわたしもがんばりたいなって。

Thanks Estete and love you lots!

ミスコン世界大会出場者が話す国内ミスコンのリアルとは。

PROFILE

名前 鈴木夏生
出身地  神奈川県
経歴 ミススプラナショナル2016 茨城代表
ミスグランドジャパン2016 top10
ミスアジアパシフィックインターナショナル2016日本代表
趣味 飛行機を見ること、旅行、ディズニー
好きな食べ物 アイスクリーム
現在 会社員
CAになるため短大に通う

昨年フィリピンで開催されたミスアジアパシフィック世界大会に日本代表として選出され、世界でご活躍された夏生さん。輝かしい功績ながらも常に低姿勢で、インタビューをする側の関係者のことにも気遣ってくれるお姿が印象的でした。

「夢に向かっていろんなことに挑戦しながら、一生懸命になることの大切さ」や「海外と国内のミスコンの現状」についてお話しくださいました。

ぜひ、ご覧ください。

高校生の時の夢は「宝塚スター」

(写真: バレエを踊る夏生さん)

幼いころからバレエ教室に通い、20年間踊り続けた夏生さん。踊ることや表現することが好きな夏生さんの高校生のときの夢は「宝塚のスター」だったそうです。

その後は長崎県にあるハウステンボスでのダンサーを経て現在は、都内でOLとして働いています。都内で働きながらも、踊ることや表現することが好きな夏生さんは自分の可能性を広げるため、ミスコンに挑戦されました。

ミスコンで自分を磨く

初めて出場したミスコンのミススプラナショナルジャパン2016ではいきなり茨城県代表として選ばれ、全国大会に出場。

周りはミスコン経験者やモデルの方がいながらも、自分自身を信じ、堂々とした演舞を披露されました。

(写真: ミススプラナショナルジャパン2016茨城代表として活躍された夏生さん)

ミススプラナショナル日本大会はファイナリストがみなフレンドリー。楽しみながら本番を迎えたものの、終わった後にはもっと挑戦したい、という気持ちが残っていたそうです。

そんな気持ちもあってか、その後はミスグランドジャパン日本大会に挑戦し、見事ファイナリストとして選ばれ、ご活躍されました。

(写真:ミスグランドジャパンでの美しいドレス姿)

(写真:ミスグランドジャパンでの鍛えられた肉体美)

ミススプラナショナル大会からたったの約3か月後での出場となった舞台。
短期間にも関わらず、オーラも倍になり美しく輝く姿で舞台を彩りました。

何度も目標に向かって挑戦できるモチベーションはどこからくるのか、を伺うと

「なりたい自分になるために目の前のことをただひたすら楽しみながら頑張ってきました。」

という夏生さん。楽しく、自分の目標にむかって頑張るのがコツのようです。

ミスグランドジャパン出場後、なりたい自分にむけてさらに挑戦するため、ご縁もあって海外のミスコン「ミスアジアパシフィック」に日本代表として出場。
ミスコン出場者なら、誰もが憧れる世界の舞台に立ち、国内と海外のミスコンの違いを知ったそうです。

(写真: 各国代表が勢ぞろい)

同じ期間に同時に各国の代表が集まり、約2週間をともに過ごしながら各国の文化をアピールしていきます。
自分自身はもちろん、ひとつの国の代表として国の文化を広めていくミッションは精神的にも肉体的にもハードなものだと想像します。

また、各国の代表とのコミュニケーションはもちろんすべて英語。
主言語が違う代表同士、常に笑顔でコミュニケーションをとっていく難しさも知ったそうです。

(写真: サッシュをつけて各国の代表と共に撮った一枚)

カメラを向けられるとみんな一斉にポージング。代表として常にプロ意識を保ちながら二週間を過ごします。

壁はたくさんありました。

各国代表とともに過ごしてきて、

慣れてくると異文化の違いなどの話を伺えて、

ほんとうに有意義な時間でした。

と言う夏生さん。ふつうの生活をしているとなかなか各国の人と出会えないので、ほんとうに貴重だったといいます。

(写真: 各国代表と写る夏生さん)

(写真: 日本代表として日本を背負い、舞う夏生さん)

初めて出たミスコンと比べると、オーラや輝きが一層増した夏生さん。
この二週間、楽しいことばかりでなく大変なこともあり、壁を乗り越え、立派に日本代表として堂々とされています。

海外と国内のミスコンの違い

海外と国内のミスコンを両方経験された夏生さんから、違いについて伺いました。

国内のミスコンは、同じ国で同じ目標にむかって切磋琢磨できる仲間と出会い、同じ言語でスムーズにコミュニケーションをとれる仲間と出会えます。目標や夢が似ていることもあるので大会が終わっても仲良くなれる友情も生まれます。一方で、社会的にも地位が低いことから大会の運営自体が整備されていないところも多く、大会までの準備期間の援助がすく兄です。衣装なども自分で用意して出場者に負担がかかることが多いです。また、文化的にも「可愛い」という美意識にそって公平に審査されにくいこともあり、なかなか実力だけで勝てることは少ないと感じました。さらに、大会で優勝できたとしても、それだけで暮らしていける現状はありません。

海外のミスコンは、各国代表との素晴らしい出会いを経験できて、異文化を知れます。なかには、ミスコン大国のフィリピンなど、ミスコンで優勝すれば一生暮らしていけるくらいの代表もいるため、人生を背負って戦っている子もいました。一方で、開催国によって人種差別を感じたことも少なからずありました。私の場合は、フィリピンが開催国だったので、黒人の子にはメイクの順番がなかなか回ってこなかったり、ファンデーションなんて必要ないでしょ、とメイク担当に言われていたりしました。海外の人と暮らしていくには柔軟性が必要だと感じました。

将来はCAになりたい

そんな夏生さんの将来の夢は「CAになること」だそうです。
両親が海外旅行が好きな影響もあり、幼いころから世界を知る機会が多かった夏生さん。初めて乗った飛行機はJAL航空だったのがきっかけで将来はJALのCAとして世界各国を旅したい、といいます。

いくつになっても「夢」を持ち続けて

ダメだったとしても粘り強く、挑戦していきたいです。

美しい女性とは

最後に「美しい女性」とは夏生さんにとってどんな人か、を伺いました。

私の考える美しい女性とは、

・常に目標や夢、興味があるものをもっている人

・後悔のない時間の過ごし方をする人

・自分にとって最高の道と思うことを選択し、実現している人 だと思うんです。

なぜなら、人生は限られているからです。いつ死ぬかわからないし、いつ身体が動かなくなってやりたいこともできない状況になるかもわからない。
わたしは行動しなかったらいつか後悔する日がいつか来ると思うので、目標にむかって何か行動をするにしても行動するには勇気がいりますが、とりあえず行動してみます。

そうは言っても、行動したことに対して後悔することもあります。ただ、その後悔が人を成長させてくれることもあります。
なので、たとえ後悔したとしても、自分が最高に輝けるものを自分で選択して、自分に正直に生きてる方が美しい人だなと思うんです。

目標や夢をもっていればそれを叶えるために少なからず緊張感が生まれます。適度な緊張感って美しさ保つために必要な事だと思います。
周りの目が気になることも大いにあるけど!! 自分に正直に、やりたいと思うことはやる選択をして、違うと思うことは違うと自分自身で選択できることこそ美しさにつながるのかなって。

よく、周りにミスコンに出るなんて、自分に自信があっていいよねとか言われることもあるけど、「いい」と感じるなら、まずは行動してみてってまずは思うんです。
わたしはただ、純粋になりたい自分になるために努力しているだけなんです。

まだまだこれからも自分の目指す「美しい女性」になれるように努力していきたいと思います。

(写真: ミススプナショナル2016での集合写真)

自分のなりたい自分になるために夢をもち、挑戦する夏生さん。
ディズニーが好きで愛らしい雰囲気ながらも自分をもち、頑張る姿は美しいです。
夏生、ありがとうございました^^