2019年の振り返りと2020年
– 2019年の振り返り
年末年始は誰もが皆昨年の振り返りと今年の目標設定に追われていて、普段は日々の業務に追われて立ち止まってその年はどうだったのか、なんて考えることがないので私も振り返ってみたいと思い、綴ります。
2018年末、2019年は「アーティストとして生きたい」と目標を掲げ、2019年1月からプロのヘアメイクアーティストを育成する専門学校「Be-Staff」をスタートしました。
2018年末の私は、ビジネス領域で生きたいのか、アーティスト領域で生きていきたいのか、モヤモヤしていました。
その状態で大企業に入社したのですが、時たまカゴの中の鳥のような感覚になることがあり、ますます自分という存在が何者なのかわからなくなっていたのを横目に流して毎日目の前のことを頑張っていた気がしています。すごく生きにくさを感じていました。それでも社会に必要なスキルを今のタイミングで学べていることはいいことだとポジティブに割り切って、過ごしていました。
そんな生活を2年と少し続けていると、人間て不思議なもので最初に感じた違和感を忘れ、環境に悪い意味で順応していました。さらに「自分って何者」と問うこともせず、会社の中の私が一つのメインアイデンティティとして存在していることに気づきました。
ちょうどその頃、孫さんが登壇する就活生向けのイベント「キャリアLIVE」の資料作成を任され、孫さんの資料を作るにあたり、ひたすら孫ismに没頭しました。それまで「自分って何者」なのかを問うてきた自分にとって、孫ismは衝撃でした。
孫さんismの「熱狂せよ」このメッセージがその時の私の殻を破ってくれたんだろうなと思います。それまでずっと自分自身に問うてきた問い自体が間違いだと気づいた瞬間でした。「熱狂できる」ものとの出会いこそがカギで、その対象に熱狂すること自体が立派な人を形成するんだ、と気づきました。
「熱狂できるものは何か」に問いが変わった瞬間に世界がひらけた感覚が生まれました。そしてまだ20代も半分あるので30歳になるまではひたすら自分の声にしたがって、直感にしたがって、やりたいことをやろうと心に決めました。
ちょうどその頃、タイミングよくお声がかかり自分の直感を信じて選んだ道がスタートアップへの転職。何がなんでも頑張ろうと心に決めて、どんなに困難な状態でもそのフィールドで自分自身をどう信じ、確立させていくかのヒントを得ることができたと思います。
2019年はアーティストとして生きたいと思いながらもまだまだキャリアを模索しながら、その過程の上で多くのことを学び人として少し深みが増したんじゃないかなと思ういい年でした。
2019年の心グラフ(上部)とそれぞれの出来事をサマリとして。
出来事を可視化することで鮮明にその時どんな感情だったのか、自分は何を思って行動の決断をしたのかが思い出すことができます。

−2019年で成長したなと思うこと
1年という期間の中で、自分自身のマインドセットや日常の人とのコミュニケーションのとり方などに変化があります。忘れないように今思いつくものだけピックアップしてみました。
<プライベート>
・常に目標ややりたいことに素直でありたいと思う
・どんな時でも相手に対してのリスペクトの念を忘れない
・アウトドア→カフェなどでの内省する時間が増えた
・本を読めるようになった笑 (読書の大切さを知った)
<仕事>
- ツール系
・タスク管理がtrelloからasanaへ
・PPT作成はマイクロソフトでなく、keynoteで
・コミュニケーションはオンライン→オフライン重視派
・基本PPT作成はせず、エクセルでの管理へ
・googleカレンダーのinvitationに詳細は不要
- マインド
・常に楽しそうであることを忘れない(周りに伝染する)
・常に誠実であること
・アジャイル方式マインド:失敗を恐れず足を使って早く動く
・物事を公平にフラットな目線で見て、決断する
・わからなくなったら人の話を聞く
・信念を曲げない、そのためのロジックを持つ
– 2020年に向けて
と同時に、まだまだ個人として成長しないといけないと思いました。
ビジネススキルはもちろん、人としてどんな人間になりたいのか。常日頃考えることを忘れずに、模索しながらも徐々に登る山を決めていきたいなと思います。
しっかり「今」を生きていく。そんなことを胸に秘めながら、毎日笑って過ごせればすごく幸せだなと思います!
アーティストとして生きる2019年
2017年の冬からスタートしたBeauty in Mind.
多くの素敵な人生ストーリーをみんなとシェアしながらも、自分自身がインタビューをしつつ一番感銘を受けていたと思います。そしていつの間にかこの活動自体が自分の行動指針の軸となっていました。
そんな刺激的な日々を送りつつ1年と少し続けたこの活動ですが、ふと自分自身のこれからをどう生きよう?と問うと現在の自分自身の生き方となかなかうまくリンクせず、落ち込んだりもしました。そうなる度に思い出す私の尊敬する先輩の言葉。
20代はたくさん悩むもんなんだから。悩んだもんがちでしょ。
私まだ23歳じゃん。悩んで悩んで悩んでいいんだ。やりたいこと、やろう。そう思いながらまずは2018年の生き様を整理しました。得意のPPTで笑
ー激動の2018年「広く浅く人間関係を築く」

すごく、会社の資料っぽい…ですがお許しください。笑
まず、私の2018年を縦軸に「本業」「Beauty in Mind.」「プライベート」で切っています。この3つは切っても切り離せない関係性。本業が忙しすぎてプライベートが疎かになっちゃう、なんて最悪。絶対あり得ない、と思ってる人間です。
それが冒頭にあり、まず本業。今年は本当にたくさんのことを経験させていただいた年でした。ほぼ上司と1on1で最低3案件は常に同時平行で進めていました。仕事が煮詰まっても、大好きな尊敬している先輩の言葉
目の前のことに対して常に200%頑張る、丁寧にね。
を思い出しながらこなしていたら結果として目標に対し300%の達成に繋げることができました。ボーナスヒャッホーイ!って感じでしたが実際は自分自身お金にあまりモチベーションを感じないタイプなのでその過程を振り返ってじんわりと頑張って良かったなあ、と感じることができて幸せでした。
結果としてみれば簡単なこと….。実は、その過程で本当に辛いこともたくさんありました… ある日は本当に本当に辛くて家の前で母に電話をかけて号泣しながら鼻水じゅるじゅる出ながら「辞めたい。辛い。」などネガティブ発言をひたすら投げるといったこともしたり笑 「すぐ辞めなあ〜」と私の負けず嫌いで絶対に途中で辞めない性格を知っている母の意地悪炸裂。笑 なんでここにきても意地悪してくるのかとドSの母に愛情を感じつつも、いくつになっても母の偉大さに驚かされています。
そんなことがありながら、ひしひしと大企業であればあるほど「広く浅い人間関係を構築する」大切さを学んだ年。みんなで創り上げていく一つの事業に対して、言わずもがなそれぞれ個々が決して意思レベルが均一でなくバラバラなので本当にいろんな人がいます。ここが大きくベンチャー企業と違う所なんだろうなあ、と。 ビジネスだろうが人情が大切!派な自分にとって半信半疑だった言葉「ビジネスに私情は入れず、ロジカルにものを申すべし」は本当だった、と何度も思いました… ましてや自分はまだ入社2年目のペーペー。いくらロジカルに物を言えようが、まず相手の自分に対する「主観」から放った言葉たちのパワーが図られ、最終的には「好き嫌い」で判断されることも多々ある。そこも加味して、目標を達成するために毎日毎日考えてたら発狂しそうでした。いくら嫌なことをされたって、負けない根性がまず大切かも。
そして「人を嫌いにならない、愛を持って接する」ことの大切さもしみじみ感じました。相手を最大限に愛してあげることで不思議と相手に伝わり、仲良くなったりするもんです。
結論として、大企業であればあるほど人を愛し、均一に接することが何よりも大事なことだなあと感じた一年でした。
ー激動の2018年「アーティストとして生きる。」
自分のテーマ「Beauty in Mind.」としての活動も前進した一年でした。
今年の4月〜6月はメディアanother life.をタッグを組んで女性の活躍推進をするため様々な角度のテーマでイベントを開催。計6回のイベントを主催しました。
イベントを通して学んだことは、
Good
– こんなにも多くの女性が同じ課題感を持ち、イベントに参加することで壁を打破しようとしていることを知れた
– イベント開催のノウハウを知れた
– イベントを通してたくさんの素敵女性と知り合えた
Need to be solved
– たった6回の単発イベントだけじゃ本質的な女性活躍推進にはなれない
– イベント開催に対しての消費エネルギーと時間が大きく本業に影響する
– 自分自身のファシリテーション能力をさらに向上させる必要性がある
結論としては、やはり自ら行動して見える課題感があることが何よりもわたしにとっての成長の原動力であることは間違いないということでした。
2018年後半はイタリア・ヴェネチア留学時代の親友がアートの力で社会を変えていくトレモロ株式会社を立ち上げ、お手伝いという形で参画させていただくことになり、たくさんのアーティストと出会い、話を伺うことができました。
それまで自分自身はジェネラリストとして生きていく運命だと思い、将来は起業する夢のためにもまずはビジネスを学ぶためにいまの会社に入社したのにも関わらず、たくさんの素晴らしいアーティストと触れ合っていくうちにプロフェッショナルとして「アーティスト」として生きることに憧れを抱くようになりました。
全てゼロから自分の五感すべてを使って表現する、美しさ。尊さ。心の奥底にじんわりと伝わってくる世界観が愛おしすぎて。
いつの間にか、自分自身の1st Stepとしてまずは「ヘアメイクアーティスト」を目指したいと思うようになりました。自分の世界観を作り、それを持続していくためにビジネスを絡めて持続可能なクリエイティビティを生みたい。そんな想いでいっぱいの2018年の年末でした。
ー激動の2018年。「他人を精いっぱい、愛する。」
プライベートでは、いくら自分が嫌われたりしても自分は自分だと割り切り、相手を精一杯愛することの大切さを学びました。
基本的に幼い頃から争いごとが大嫌いで、平和主義でいるためにもやや八方美人ぶる傾向があって、何か嫌なことあっても笑ってればなんとかなる、なんて思ってた自分にとっては辛かった一年。笑
今年は人間関係においても対面で喧嘩をしたりすることが多く結果として問題なく終えるのですが真っ正面から相手の想う気持ちを伝えられるのは清々しい分、ダメージも大きく笑 自分としてのあり方を何度も見直した一年だったなあ、と。たくさん悩んだ分、絆は深まったと思っています。どんな状況においても相手を嫌いにならない、ことは鉄則として愛を持って接することの大切さを学びました。みんな、ありがとう。
そんなことを経て自分自身のパーソナリティに対する自信が今では100%です笑 今は私は私だ、と胸はって堂々としていられる気がします。
ーTo be an Artist. 2019年に向けて
ある日、彼氏に「アートってどこからなんだろう?例えば職人がつくるスマホはある一種の創造物であり、それ自体はアートじゃないんだろうか?」と聞かれました。
ひと呼吸置いて私が出した結論として「アートじゃないね。二次利用されてその人のために実際なるものだから、どちらかというと社会貢献に近いのでは?アートは、その人の感性によって作られる表現の一部じゃない?」と返しました。
よくアート=絵を描くアーティストをイメージする方が多いと思うけど、私はアート=表現方法だと思っていていろんなアートを生み出していきたいと思っています。
それがよさこいはもちろん、踊りながらプレゼンをするのもそうだし、言葉を音にのせて色にのせてみるのもそう。まだまだ違う形の表現方法があると思っているのでそこを追求してみたい。まずはヘアメイクから始めてみようと思っている2018年の年末です。
ということでご縁があり、実は1年前から準備を進めてきた専門学校Be-Staffへの通学を1月からスタートします。自分のアーティストとしての第一歩!楽しみ!
私だけでなく、この夢を経済的にも精神的にも応援してくれる彼氏には感謝。ありがとう。
やりたいことをやって、「夢」で終わらせないように。そんな社会づくりのためにもまずは自分が体現しないと。2019年もイノシシのごとく猪突猛進でいきます。
2018年もみなさん、ありがとうございました。
引き続き2019年もどうぞよろしくお願いいたします。
良いお年を
-2018年12月31日
日本人の内に秘めた美とは
– 美しさを追求し始めた原点
今回は、そもそも私自身がなぜ「美」に興味を抱いたか、のお話をします。
自分が「美」に興味があることに気づいたのは就活の自己分析のとき。
幼い頃から何を頑張るにも「中身も外見も美しく、輝く女性」となるために大学受験や習い事、人に対して優しく接することを意識していた自分がいたことにやっと気づいたんです。
この考えに大きく影響をうけたのは母。
とくに、「内面」という観点で知性があることや自己利益だけでなく他者を第一優先で思いやる心のある女性は見た目にも現れる大切さを教えてくれました。
わたしの母は「女性」として生まれたからこそ楽しめるファッションやメイク、振る舞い方までを教えてくれました。洋裁師の祖母は、ジャストサイズで「わたしにフィットしたデザイン」の服を作ってくれました。
わたしの「頑張るモチベーション」はいつだって純粋に「知性ある、美しい女性になりたいから」だったんです。
– アジア人として生まれたことを悔やんだ日々
TOEIC460点の状態で16歳の時にひとりでカナダへ交換留学に行き、右も左もわからないわたしはアジア人として差別され、揶揄された経験がきっかけでもあります。
カナダの公立高校に通っていましたが、廊下ですれ違うたびに「Yellow」と言われ、自分自身が日本人であることを後悔しつつも、こればかりは一生背負っていかなければならない宿命である現状に絶望した毎日。
次第に高校にも行きたくなくなり、不登校気味になりましたが、海外で過ごすチャンスをせっかく得たのだから勇気を振り絞って友だちを作ろうと地元のバレー部に入部し、部活に行き始めました。
中学時代、バレー部のキャプテンを務めていたのでバレー自体には自信があり、練習の成果もあって、チームでNo.1の賞を受賞するも、仲間からは「日本人強ぇ〜」と皮肉じみた言葉や目線でわたしをみていたのは変化しませんでした。
– 日本人であることに個性を感じ、幸福感に包まれた日
2011年の3月。いつものように憂鬱な気分で学校へ行く身支度をしていたときの朝でした。
テレビで報じた「東日本大震災」の様子。
いつも見ていた光景は、めっきり破壊された姿になってしまった日本。
人々は、家族と連絡がつかず、安否確認さえもとれない状態。
そんななかでも、他者を思いやり、スーパーのレジではきちんと列に並んで商品を精算しようとする日本人の姿。
いつでも他者を思いやり、じっと回復をまつことのできる辛抱さを海外メディアでは絶賛されていたのを知り、
自分自身が日本人であることに幸せを感じた日でした。
現地の同世代の子たちにどう言われようとわたしは、わたし。
日本人であること自体、貴方たちよりも心は美しいはずよ。
と言い聞かせていました。
– 世界一美しいのは、日本人だと証明された日
そんな状況下で、たまたまカナダテレビで放映されていた「ミスユニバースカナダ」のショーを拝見したとき、
単純に「日本人贔屓」気味だったわたしは「シャイで表現も下手な国民性だけど、他者を思いやれるところや表現をあえてぼかす日本人」に美徳を感じ、
ミスユニバースは日本にもないのかとネットで調べ「ミスユニバースジャパン」を知りました。
2007年には、日本人の森理世さんが優勝、2008年には、知花くららさんが準優勝していた事実を知りました。
まさにわたしのなかの「日本人は世界一美しい」定義が証明された瞬間でした。
そんなふたりを育てあげたのがフランス人ディレクターの「イネス・リグロン氏」
それからイネスの本を貪り読みました。
彼女の著書のなかで、
寡黙な国民性は、世界目線でみると、「表現下手」で終わってしまう。でも日本人はただ寡黙なわけではない。いろんな感情や想いを来るべきタイミングで発するために考えながら貯めることのできる我慢強さがある。
そして、何か仕事をふられても、必ず「頑張ります!」と返してくれるでしょう。
「頑張る」ことのできるすばらしい国民性なのよ。
と日本人を評価してくれています。
そんなすばらしい彼女のもとで、一度学びたい。
彼女のレッスンを受けてみたい。
この時感じた想いは心の奥底にしまい、帰国後はまずは大学受験と必死で英語を勉強したのでした。
そして念願の早稲田大学国際教養学部へ入学。ミスユニバースなどのミスコンにも挑戦したのでした。
– 女性として生まれたことに喜びを感じる一瞬を。
そんな経験を経て、現在はIT系会社に勤め、WEBマーケターとして在籍。
現在では、男女平等参画により女性の社会的立場も対等に近しい状態となり、働きやすい環境になった半面、
「自分自身が女性」として存在している事実自体を考えず日々の業務をこなしている働く日本人女性が多い現状。
思えば、「女性だなあ」と感じる瞬間。女性にしかわからない女性であることの喜びを感じる瞬間は朝のメイクの時間、夜大好きな彼氏とデートする前のおめかしの時間、結婚式できるウェディングドレスを選びにいく時間、3月3日ひな祭り、など。
日々を忙しく生きる働く女性に「いつもと違うわたし」でいることによるその日を生きるモチベーションの変化。
ここを追及していきたいなあ、と日々思う所存なのです。
There is no limit to what we, as women, can accomplish.