Jason Deruloの世界的プロダンサーCahogold

世界的有名アーティストJason Deruloの専属ダンサーとして活躍するCahogold。
持ち前の強靭な精神を兼ね備え、幼い頃からの夢でもあった世界的に有名なダンサーとして活躍することを24歳で成し遂げました。
それだけでなく、今後のさらなる目標に向けて日々邁進され、その姿は周囲の人に刺激を与えてくれます。
彼女が話し出すと話に引き込まれていくような不思議なパワーは何千万人の観客の前で踊り続け、身につけた一つの魅力。
現在、拠点をアメリカに置いて世界を飛び周る彼女を独占インタビューさせていただきました。ご覧ください。

 

-身体を動かすのが大好きだった幼少期

名古屋生まれ名古屋育ちで、地元の幼馴染とともに幼い頃から身体を動かすのが大好きだったCahogold。4歳からバレエ教室に通い、その後は水泳やヒップホップダンス、ジャズダンスなど運動をたくさんしたと言います。
当時は、何をするにも幼馴染と一緒に行動していたそうで、今でも地元の名古屋での繋がりは濃く、成人してからも定期的に連絡を取り合っているそうです。

Cahogoldが一時帰国した際には幼馴染全員で集まるほど仲良し。
成人となった今、それぞれが自分自身の人生を全力で生きていてお互いにいい意味に刺激になっている時間だそうです。
幼馴染との出会いがあったからこそ、いまのCahogoldが存在している、日々ありがたみを実感する瞬間があるといいます。

 

-夢は、自分のダンスで人の人生を変えたい

幼い頃から身体を動かすことが好きで、ダンスに没頭していたCahogoldが人生の夢を見つけた瞬間。
中学生の時にふとYouTubeで見た世界的有名アーティストBeyonceの公演でした。
それまでは海外に行ったこともなかった当時、Beyonceのパワフルなパフォーマンスを見た瞬間に「私は、将来この人のダンサーとして踊っていきたい。」と確信したそうです。
当時は、Beyonceのいるアメリカに行きたい!と思いつつも、まだ中学生だったCahogoldは一人でアメリカで何もかもやっていく自信がまだなかった、と言います。
「大好きな家族や幼馴染がいる名古屋を離れる勇気がなかった、でも夢は絶対に叶えたいから。」と名古屋で海外交流が盛んな名古屋外国語大学に進学されました。

 

-名古屋外国語大学在学中の転機

海外への憧れを持ちつつ海外大学への留学制度も整う名古屋外国語大学に入学されたCahogold。大学の友達にも恵まれながら自分の今度の将来についてよく考えるようになった、と言います。
Beyonceの専属ダンサーとして活躍する夢を抱きながらも、ほとんど毎日ダンスに明け暮れる日々。そんなCahogoldの元に転機が訪れました。

どうしたらプロのダンサーになれるのか、海外に行けるのかを模索していた時、テレビ東京で放送されていた未来のスターの卵を見つける番組「ハックツベリー」でブロードウェイで活躍できる日本人ダンサーを募集していたのをたまたま見つけました。
すぐに応募してから面接が決まり、何度も面接を受けていく中で、そのパワフルなパフォーマンスが評価されて、一気に最終面接までのぼりつめ見事合格を勝ち取りました!

その後は冬にアメリカでの公演があるため、ついに念願のアメリカ行きの切符を手に入れました。
初めての経験で不安もありながら、ワクワクと期待を胸に人生初の渡米を自らの力で勝ち取ったCahogold。
本場の文化に触れながら、慣れない土地でプロのダンサーとして自分もダンスをしていたと言います。
アメリカでの公演を終えた帰国後、それまで抱いていたアメリカ生活に対する不安などは払拭され、アメリカでやって行ける自信がついたと言います。
友達に恵まれながらも2年間通っていた大学を休学し3ヶ月間単身でアメリカのニューヨークに渡りました。
大好きなダンスに明け暮れる中、各国から集まるダンサーを見てこう思ったそうです。

 

ダンスは、スポーツとは違い、ひとつのアート・カルチャー。
点数を付けられない、正解もないもの。正解がないからこそ日々追求していくと出会う新しい発見が面白い。

 

-歌手AIのバックダンサーに大抜擢

念願のニューヨーク行きを果たした帰国後は名古屋に戻り、
アメリカで各国から集まるダンサーを夢見るライバルとともに踊りきった3ヶ月間はCahogoldの大きな自信となったと言います。

その後は、たまたま地元の名古屋で尊敬するダンサーのRIEHATAがワークショップを開催する情報が入りました。
ずっと尊敬していたRIEHATAさんのワークショップを大好きな名古屋で開催する、この滅多にない機会を誰よりも絶対ここで仕事を勝ち取る精神で参加を決意。
フロアの誰よりも輝くことを意識して踊りきったCahogoldのそのパワフルなダンスがRIEHATAの目に留まり、その次の日に個別に連絡が入りました。
「あなたいいわね。仕事の話をしたいから電話番号を教えてもらってもいい?」と言われ、数分後電話に出るとそれは日本人歌手のAIのマネージャーでした。

 

何事に対しても一生懸命やっていると誰かが必ず見てくれていて、道が開けるんだと実感した瞬間でした。

 

自分の頑張りを誰かが、見てくれて評価してくれている… 常に周囲の支えてくれているみんなに感謝しながら、大ファンだったAIのバックダンサーになれる機会で最大限を力を出し切りました。当時は、Cahogoldを入れて6名が抜擢され、他5名は有名なダンサーで無名のCahogolが選出されたのは異例の出来事でした。
ちょうど、デビュー15周年の記念公演を全国50箇所で開催する年で一緒に全国を回って公演をされました。

 

-Jason Deruloの専属バックダンサーに抜擢

その後は、幼少期からの夢だった「自分の踊りで見てる人たちの人生を変えること」に向けて単身渡米したCahogold。
大学時代に培ったアメリカでの経験からなる自信を持ち、プロを目指す各国のダンサーたちと切磋琢磨する日々の最中、世界的シンガーのJason Deruloのバックダンサーを決めるオーディション情報が入りました。

応募総数のうち、選ばれるのはたった2人という激戦のオーディションは、毎年選ばれるのは体の大きいアメリカ人がほとんどだそうです。

 

それでも、アジア人にしか表現できないパフォーマンスがある。
その時は、私自身、私を120%信じていました。

 

その結果、見事バックダンサーとして大抜擢。
自分を最後まで信じきり、誰よりも負けない強い精神からなるダイナミックなダンスが評価された瞬間でした。

その後は、365日世界各国で開催される公演で舞い踊り続けるCahogold。
世界中の人々に感動と驚きのパフォーマンスを届け続け、人々の人生の思い出の1ページを創り上げています。

 

-Cahogoldが考える将来


プロのダンサーとして人々に感動を与え続けることをしながらも、今後は身体を使った様々な表現方法にも試してみたいといいます。

 

ダンスに限らず、例えば歌とかお芝居とか
ダンスだけではなかなか伝えきれない思いを表現してみたいです。

大きな夢を実現した後は、結婚して絶対に子供を産んで私の両親のような子供の夢を盛大に応援してあげられるような大きな心のもった温かい人間になりたいです。

 

-美しい女性とは

最後に、Cahogoldが考える「美しい女性」について伺いました。

 

男性からも女性からも「かっこいい」と言われるような女性だと思います。その「かっこよさ」は、どれだけ他人に影響力を持ち、人のために生きている人だと私は思うんです。

 

-編集後記

Cahogoldさんとは、対面でお会いしたことはなく知り合いから「すごい幼馴染がいる」と紹介を受け、アメリカにいるCahogoldさんとSkypeを介してインタビューさせていただきました。
インタビューをさせていただいてる最中でも刺激を受け、同世代で世界で果敢に戦うCahogoldさんの勇姿はまさに「かっこいい女性」だなあとしみじみ。
様々なオーディションで勝ち続けたCahogoldさんの人生談から得たものは、いかに「自分を信じきる力」が大切で、純粋に夢に向かって誰よりも努力することが大切か、ということでした。
これからも一人のダンサーとして、女性として活躍されるCahogoldさんを応援しています。-R.K

日系IT企業からWeWorkへ転職した理由

新卒でソフトバンク株式会社に入社してから人事を5年担当され、現在では、WeWorkでコミュニティマネージャーの一員として働いているShibata Haruka さんをインタビュー。たった2時間のインタビューの中でHarukaさんのそのお人柄に虜になってしまいました。

お会いして、Harukaさんの人生ストーリーを聞いてるだけで自然と自分自身にも生きるエネルギーがふつふつと湧いてくるような、そんな不思議なパワーを持つHarukaさん。

パワフルな笑顔とオーラで周りを圧倒するHarukaさんのこれまでの人生ストーリーから、現在、そして将来の目指す姿について伺いました。ぜひ、ご覧ください。

 

– 海外への興味をもつキッカケとなった幼少期

神奈川県座間市の米軍キャンプ場の近くでご両親とお兄さんに愛され、のびのびと育ったHarukaさん。幼い頃から負けず嫌いで何をするにも自分の直感を信じて行動するタイプだったと言います。

そんなHarukaさんが小学2年生になったある日、近所にカリフォルニア出身の家族が引っ越してきたそうです。
その様子を見に行ったところ、バービー人形のようで、まるで映画の世界で見るような可愛い女の子に一目惚れをし、子どもながらにもすぐに仲良くなりたい、と直感で思ったHarukaさん。
英語も何もわからなかった当時は、子供用の簡単な英語辞典片手に一心不乱に家のインターホンを押して「Let’s Play!」で友達になれた、と言います。
憧れのその女の子と放課後はずっと遊びながら親交を深め、次第にHarukaさんの心の中で「もっと英語を勉強して、将来は海外に住んでみたい、日本と違う世界をもっと知りたい。」という目標ができ始めました。

そんな目標ができてからは、この英語に興味を持ったタイミングを逃さず、英会話塾に通ったHarukaさん。
日々英語を学びながらも、英語の先生サポートのもと、念願叶い、中学2年生の時にオーストラリアに短期留学をしたそうです。

 

自分の直感を信じて、周りを巻き込み、行動することはこの頃から培ってたものかもしれません。

 

– 海外での大学経験から就職まで

小学生時代のカリフォルニアガールとの出会いはその後のHarukaさんの人生を「グローバルな思考」へと変えたきっかけとなりました。中学2年生で初めて海外に飛び出したHarukaさんはその後も英語を学びつつ各国の異文化に触れながらも、次第に「海外の大学で学びたい」と思うようになり、高校卒業後、大学留学にチャレンジします。そして念願叶って、カリフォルニア州立大学に入学されました。大学では教育、心理学について幅広く学びました。

その後は、ボストンキャリアフォーラムにてご縁あり、ソフトバンク株式会社に新卒で入社したHarukaさん。配属された人事部門で約4年間人材採用業務、その後約1年間は組織人事業務に携わりました。
就職活動で将来何をしたいのかを共に考えていく人材採用という仕事の中で、学生と話をしていく上で自分自身の生き方についても深掘りをしてよく考えるようになった、と言います。また組織人事として、日々社員と向き合いながら、海外企業とのJV立ち上げ、ダイバーシティー、働き方改革などの戦略を考える中で、会社のことのみならず、今後の日本、日本人にとって必要なことは何かについてもよく考えるようになったと言います。

やりたいと思ったことには自分に素直になり行動する。自分の感情を素直に周りにも表現をしていく。そんなキャラクターでこれまで人生を歩んできたHarukaさんが多くの学生の背中を後押ししてきました。

 

これまでのチームには本当に恵まれていました。素直なコミュニケーションが取れる関係で、これまでも今も、上司、先輩、後輩には感謝しかありません。

 

決して個人プレーではなくチーム一丸となって頑張るために、自分自身がミスをしたときも決して高ぶることはなく喜怒哀楽を素直に表現していた、と言います。時には、後輩の前でも涙を流したこともあったそうです。仕事で嬉しかったこと、悲しかったこと、感動したこと、チームで皆んなで共有できることはとても大切だと考えているそうです。
周囲に自分自身の感情を素直に表現することで「私」という存在が何を考えた上で行動しているのかを相手に知らせることができるサイン。
後輩に対しても先輩としていい意味で気を張らずに弱みも見せることでチームが支え合える関係になれるのかもしれません。

最高のチームで最高のアウトプットが出せる環境に恵まれ、ソフトバンクでの生活が毎日楽しくてしょうがなかったと言います。仕事でアメリカをはじめとした海外出張に赴く機会も多く、挑戦しながらも好きなことができた環境はHarukaさんにとって最高に居心地良いものでした。

そんなHarukaさんが最後の20代として新たな挑戦に挑もうと決意したのが「WeWorkへの転職」でした。

 

– 母の突然のガン宣告、最愛の幼馴染の死

最高に居心地の良い環境ながらも、30歳の節目に転職を決意したきっかけとなった、2年前の突然の愛する母のガン宣告。

愛する母が突然いなくなってしまうのではないか、という恐怖と毎日戦いながらも、人はいつ死ぬかわからない、と身をもって実感したHarukaさん。

さらに、その間に小学生時代毎日の様に遊んでいた幼馴染が小さな子供残して突然亡くなってしまい、深い悲しみに暮れる毎日を過ごされました。

 

人生何が起こるかわからない。いつ死ぬかわからない。
だからこそ、生きている私自身が今、この瞬間を充実させ、毎日を幸せだと思える人生を歩まないといけないと学びました。

そんな経験をもち、さらに自分自身の人生について深く考えるようになったとHarukaさんは言います。そうして出た答えが、WeWorkへの転職でした。

 

-毎日、目の前の業務を誰よりも一生懸命やる

元々前職のソフトバンクでは人材採用以外にも職場のダイバーシティを推進していく業務にも携わっていたHarukaさん自身、日本国内の女性管理職が世界的に見ても少ない現状に課題を感じていたと言います。
自分自身の中で、今後の未来を担っていく女性リーダーを増やしたい、とふつふつと感じ始めていたころ外資でスタートアップ企業のWeWorkが日本で人材募集をしていたことを知り、ご縁あって転職への切符を手に入れたのでした。

まだ日本にないビジネスのゼロからのローンチ。初期メンバーとして参加できるのは、今しかない。半年後ではもう遅い、今なのかもしれない、と直感で感じました。今後さらに女性が活躍する社会を作っていくにしても、自分自身がもっと多くのことを経験することが必要だと決心して勝ち取ったチャンス。

女性の管理職がたくさんいる今の環境に刺激を受けながら、世界各国から集うメンバーと立ち上げフェーズを頑張る日々。いろいろな強みを持ったメンバーがいる中で、「自分にしかできない」自分自身の強みを活かしながら目の前の業務を全力でやっている、というHarukaさん。日本でのマーケットシェア拡大のために0から立ち上げに携わる創業メンバーとしてプライドをもちながら働かれている姿は凛々しく、周囲を圧倒するほどです。

 

-女性が活躍できる社会づくり

WeWorkの業務の傍ら、以前から感じている女性が活躍できる環境づくりにも興味があるHarukaさん。

担当のWeWorkロケーションではイベントマネジメントも担当していて、ユニリーバ株式会社人事本部長を初めとした、実際に女性リーダーとして活躍されている女性を集め、モチベーション向上に向けたイベント開催も多々企画、運営をしています。

 

一つ言えることは、男性女性関係なく「Do What You Love」が大切だと思います。人生一度きりだからね。

 

−常に刺激的な場所に身をおきたい

5年前は転職するなんて微塵も思ってなかったんです。
よく、将来何なりたい?とか聞かれるんですけど、特にないです。笑
今を必死で生きるだけ。

そう笑顔で語るHarukaさん。

前職のソフトバンクでは人事を担当され、現職のWeWorkでも最初は人事として入社されましたが、とあるキッカケでコミュニティマネージャーチームに異動するチャンスを得ます。常にフロントラインで利用者と関わることはやりがいがありますが、大変なことも多い、と言います。大変なときこそ、できるだけ冷静に、今できることは何か、解決方法は何か、解決するだけではなくてプラスアルファを精一杯考えて、誠実に対応することを常に意識しているそうです。

一生懸命頑張ってればきっと誰かがそのプロセスを見てくれているし、結果を残せばそれ相応の報いがある、と強い眼差しで言います。前を向いて進んでいれば、引き寄せの法則でちゃんと良い方向に向いていくのです。気づいたら充実感に満たされた毎日になるのです。

人生はどうなるかわからないので、「あ〜私、今日も頑張ったなあ」と思える人生を歩みたいです。自分を毎日褒めれるってなんてハッピー!

−美しい女性とは

インタビューの最後にHarukaさんにとっての美しい女性とはどういう女性なのかについて伺いました。

 

自分の個性をちゃんと知っていて、飾らずに素直に真っ直ぐ生きている人だと思いますね。

 

「自分は自分で、できることとできないことは人それぞれあると思っていて、できないことはできないと言う、逆に得意なところで積極的に仕事を引っ張ってこれる人って強いと思うんです。もちろん、できないことに対してできるように努力することも大切。私は負けず嫌いなのでできないことはできるだけなくしたい。でも、強がりすぎず、女性のしなやかさを持つことも大切だと思っています。偽りではない、本当に自分が想うこと、感じることを周りに発信できる人って強いし、美しいと思うんです。いわゆる本音でしっかりコミュニケーション取れる人です。今日のこのインタビューも、本音すぎて、逆にブレてるかも。(笑)」

 

●編集後記

自分自身を客観視しながら、常に自問自答を繰り返すことで後悔のない人生を歩むことを心がけているHarukaさん。故に、人の目を気にせず、自分自身がどうしたいかを最優先で行動する姿はまさに「強靭」という言葉がピッタリだと思いました。私自身、今置かれている状況に少しでも満足していないな、と感じた時にはHarukaさんの生き方を見習い、自問自答を繰り返しながら後悔ない人生の道を選択していこうと思いました。貴重なインタビュー時間をありがとうございました。

自分の「想い」に素直になること

みなさん、はじめまして。今回初めてインタビュアー兼ライターとして記事を書かせていただきました小林遼香ことこはると申します。
5年前に上京し、いろんな人と出会い、いろんな人生のストーリーを聞くのが大好きです。
今年の4月にご縁あって鈴華さんと出会い、この活動を知ってから、自分自身「美しさ」という観点で日々刺激を受けていることに気づきました。
ただ、私自身「美しさ」をはっきりと定義できないことにも気づき、「美しさ」とは何なのか、この場を通じて私自身も模索しながら見つけて行きたいなあと思います。

さて、初めてインタビューさせていただいたのは武田奈津美さん。GDOゴルフアンバサダーオーディション2016でグランプリを受賞され、現在は小学館oggi_oggi.jpsでゴルフについての連載をもつ経歴の持ち主。武田さんと初めてお会いしたのは昨年で、しなやかな空気に圧倒されてなかなかお声がけできず、念願叶ったインタビューでした。

インスタからは、美味しいものやカフェ巡りをされ、ジムやホットヨガでストイックに自分磨きをされている様子を伺えます。そんな武田さんを知っていたからこそ、インタビュー前はお仕事もプライベートも充実されていて、生まれた時から私とは違う世界で生きている方なのかなあと思っていたりもしたんです。

そんな武田さんのインタビューでは、「仕事を辞めたいと思っていた」、「寿退社が夢だった」といった内容のお話を聞いて、武田さん自身も私たちと同じような気持ちをされていたりするんだなあと感じ、ちょっぴり親近感を感じました。

仕事とプライベートを両立したいと思っている方や挑戦したいことがあってもなかなか踏み出せない方は、武田さんの人生ストーリーからぜひヒントを得てみてください。私自身も武田さんのストーリーを聞いて、前は何かにつけて諦める理由を探し、無駄に時間を過ごしていたこともあったと気づかされ、前に進もうと思いました。

いわゆる”フツー”のOLだった武田さんを変えたものとは。

ぜひご覧ください。

– 人の前に立つタイプの子供ではなかった幼少期

埼玉県熊谷市出身で、仲良い近所の友達に囲まれ元気にのびのび育った武田さん。幼い頃から「可愛いもの」が好きで中学校はテニス、高校はチア、大学は野球サークルのマネージャーも経験されていました。華やかな経歴とは裏腹に集団のなかでとりわけ目立つようなタイプではなかったと言います。

 

ー将来の夢を変えたきっかけはゴルフ

社会人三年目になった頃、武田さんの周りの同期は、どんどん会社を辞めていく状況の中、何か自分自身の生きる環境を変えたいと思っていたそうです。そんななか出会ったのが「ゴルフ」でした。当時は「ゴルフ女子」が周りにいなかった武田さんは、ある日、女性の参加者が足りないと先輩に言われるがまま、仕事の一環と捉えてコンペに参加しました。その日をきっかけに「ゴルフ」が趣味になったそうです。最初はスコアが悪くても気にならず、半年に1回ペースでゴルフを続けていたと言います。

しかし、スコアが100台にのったところあたりからどんどんゴルフにのめり込み、「もっと交友の幅を広げたい、繋がりを広げたい」と感じるようになったそうです。そんなときにご縁あってGDOゴルフアンバサダーオーディションと出会ったといいます

最終予選では、担当ラウンドでゴルフについてブログを更新しなければならなかったので2ヶ月で毎週ラウンドに行くようになりました

ゴルフに向き合う時間が増えたことでゴルフが持つ力ー個々のレベルに関係なく同じ時間を共有することーの素晴らしさをより一層感じたといいます。

 

– ゴルフの「敷居が高い」イメージ変えたい

現在はご自身が広報塔となってゴルフウェアや人気ゴルフ場などゴルフにまつわることを発信している武田さん。その中で若者のゴルフ離れや地方のゴルフ場の衰退など目の当たりにし、最終的には、自分がプレイヤーとしてゴルフをプレーすることはもちろん、それ以外でゴルフそのものを発信したい、という想いになっていったそうです。目標に向かって、一日何かをしてレベルアップすることを意識して毎日の予定を入れている、と言います。

 

 

とりあえず興味を持ったものは挑戦する経験して後悔はしたことがない。

ゴルフ以外でも趣味で釣りも始めたという武田さん。釣りも世間ではゴルフと同じように「男性がする趣味」というイメージが強く、マスキュリンなイメージを打破することを目標に釣りに励んでいるそうです。人の目を気にせず、何事にもやりたいことには挑戦し続ける女性として尊敬します。

 

– 「美しい女性」とは

 

「自信」がある人だと思います。「嫌」なことを「嫌」と断れる芯を持った人なんじゃないかなあ。

「ゴルフ」自体が男性的なスポーツでそんな世界にいるからこそ、ご自身が「ゴルフ女子」の模倣となるような美しく「自信」がある女性像になりたいと言います。

幼少期では、人前に立つことは苦手だったタイプだった過去の自分から、「ゴルフ」と出逢い外向的な性格へと変わっていた武田さん。過去にコンペに参加して自分の「交流の幅を広げたい」という素直な想いを無視していたら、いまの自分のやりたいに素直に応じる自分はいなかったんじゃないかなあ、とつくづく感じるそうです。自分の想いを信じて何事も挑戦することで見えてくる新しい自分との出会いもあるんだなあ、とインタビューを通じて感じました。

○武田奈津美さんのインスタ
素敵な写真がたくさん投稿されています!!
@_natsumitakeda_

世界の頂点を目指して、貪欲に努力する美女とは

 

– Profile

フィリピン人のお母さんと日本人のお父さんのもと、フィリピンで生まれ日本で育った園田悠希さん(当時24歳)。光る黒髪が麗しく、眼差しは力強くも目の奥は優しい心をもっている悠希さんの過去、現在、そして壮大な夢をもつ将来についてインタビューさせていただきました。ご覧ください。

– 自分のアイデンティティを探る幼少期


フィリピン生まれで幼少期はフィリピンで育ち、小学生のときに日本へ渡った悠希さん。
当時、フィリピンは今よりも断然治安が悪く、悠希さんが育った地区では物乞いをして必死に生きるストリートチルドレンなども多くいたそうです。
そんな環境下で育ち、日本へ渡り、まずは言葉の壁に当たったといいます。
通っていた小学校では、「外国人」扱いをされ、毎日とても辛い想いをしたそうです。
そんな最中、自分自身はフィリピン人なのか、日本人なのか、アイデンティティはどこにあるのか、常に自問自答していた毎日を繰り返されたといいます。

 

– ビューティークイーンとの出会い

幼少期は毎日つらい想いをしながら学校に通いつつ、常に目指していた目標がありました。その目標は、将来は「ビューティークイーン」になることだったそうです。

フィリピンでは、「ミスコン大国」と称されるほどミスコンが社会的にも貴重と捉えられています。その背景として、貧富の差が激しい国にとって、ミスコンという舞台は日本でいう「宝くじ」のようなもの。自分が努力すればするほど美しくなり優勝すれば一獲千金。一般女性が雲の上の存在になれる過程にロマンを感じる人が多いそうです。
母国のフィリピンで放映されるミスコン大会の様子を毎回家族とチェックした、と悠希さんは言います。

自分のアイデンティティを探索しながらも、常に自分がどうありたいのかを考え続け、日本が大好きなことや将来的に可能性のある国でビューティークイーンを目指して自分も挑戦してみたい、という気持ちがあり日本で初めてミスコンに挑戦されました。


そのミスコンは「ミスフィリピンジャパン」という日本に住むフィリピン系美女のためのミスコンでした。
右も左もわからないなか、表現することが得意な悠希さんは憧れのビューティークイーンの動画を何度も見たり、ミスコンが大好きな叔父と一緒に魅せ方を研究したりと、試行錯誤された結果3rd runnner-upとして見事入賞されました。

その後は、世界5大ミスコンの「ミスワールドジャパン2015」に出場。ファイナリストとしてご活動されました。

 

– フィリピンと日本のミスコンのギャップ

ミスワールドジャパンに参加後、思い描いていたミスコンの現状と大きく違うことを実感し、苦しんだと言います。

フィリピンでは、ミスコン主催者が本質的な美を熟知し、真のプロフェッショナルとして活躍されている人がミスコンを運営しているケースが多い現状に対し、日本では美とは全く関係ない、ただ経済力がある人がスポンサーとしてついて主催しているケースがほとんど。

そのため、日本ではファイナリストたちが本質的な美を純粋に終える環境が整備されていないことが多く、スポンサーの「お金稼ぎ」の要員として活用されてしまう現状があります。そうなってしまうのも日本でのミスコンの社会的立ち位置が低いことが起因しています。

ミスワールド大会を通して、現状を知り、このままフィリピンへ戻るか、それとも日本でもう一度挑戦していみるか迷っていたころ、ご縁あって「ミススプラナショナルジャパン」への挑戦が決まりました。


悠希さんが挑んだ年のミススプラナショナル日本大会はファイナリストがみんなフレンドリーで楽しみながらファイナリストとして活動できたといいます。

最高の環境で自分自身を表現した結果、準優勝を獲得。悠希さんにとってビューティークイーンになる夢に一歩近づけた経験となりました。同時に、大会を通し、「真のビューティークイーンになるためには」を考え続けた日々。結果、外見の美を追求することはもちろん、最強の知性をつけて内面からオーラ溢れる女性へと成長するために大会後は在籍している立教大学法学部でひたすら授業を受け、マナーや丁寧な話し方を学ぶ為、大学と同時進行でエアラインスクールへも通っておりました。

 

– 世界大会で活躍

ミススプラナショナルで準優勝を獲得後、外見と内面を同時に成長させるために日々努力していた悠希さんのもとに世界大会への切符が届きました。

「ミスアジアパシフィック」という世界大会に日本代表として出場することが決定したのです。開催地は母国フィリピン。タガログ語も堪能な悠希さんは現地のトレーニングでもスタッフと親しく、世界各国から集うファイナリストとも会話を弾ませながら楽しめた、といいます。

現地のスタッフさんと和気藹々としながら挑んだ世界の舞台では、見事top10に入賞、悠希さんのイブニングガウンがなくなるというハプニングがありながらもその朗らかな性格で周囲の助けを借りながらなんとか日本代表としての舞台を終えることができました。この大会を経て自分自身は本当に貪欲に「ビューティークイーン」を目指したい気持ちがあることに気づいたそうです。

 

– ビューティークイーンとして母国、そして世界を救いたい

帰国後、ビューティークイーンになる夢を持ちながら、自分自身の将来についてよく考えるようになったという悠希さん。将来は、自分自身の生まれ育ったフィリピンの社会支援に携わりながら、ビューティークイーンとして任務を遂行したいと言います。
日本で「真のビューティークイーン」になるためにはどうしたらいいのか。
本当の意味での「美しさ」とは何なのか。
それは、外見はもちろん、内面としても知的で「最強」にならないといけないと思うんです、と語ってくれました。
「最強」の美しさを手に入れるために、今日も悠希さんは努力を重ねています。

最後に、インタビューを通し、自分の夢に向かってこんなにも貪欲に純粋に夢を追っている悠希さん自身が純粋に美しく、無謀と言えるチャレンジを成し遂げられるのではないか、と期待しています!
友人として尊敬できる素敵な女性です。
いつも応援してるよ!^^

—to be continued.—

「誰よりも失敗した」台湾人起業家が考える美しい女性とは

現在、パートナーの2人で経営するAWE(人材エンパワーメントコンサルティング会社)のオーナーで台湾人のDanaさんにインタビュー。
発する声は、どしんと相手の身体をうずめくような重みのある声で一度も海外に行ったことのない彼女でも流暢な英語でお話しくださいました。
終始、緊張感がありました。
経営者として、信念の強さが圧倒的な存在感を醸し出している雰囲気のなか、一つの記事だけではまとまりきれないような内容の濃いお話を伺うことができました。
ご覧ください。

 

– 誰よりも失敗した自信がある過去

台湾国際大学で学び、その後は会社に就職せず、台湾人同士の男女関係を露呈し、女性のエンパワーメントや教育を行うコンサルティング会社をパートナーと設立。

もともと、「企業に勤めて働きたくない」モチベーションで自分で会社を立ち上げた、といいます。

幼いころから、厳格な仏教徒で父・母の3人家族で過ごし、幼少時代から喧嘩が絶えず、家庭内離婚状態が続き、二年前に両親が離婚。経済的理由で喧嘩が増えていったといいます。もともと、仏教徒ということもあり、現実主義だったDanaさんはそのころから生きていくためには自分がしっかりお金を稼ぐ必要がある、意識があったそうです。

当然、幼いDanaさんにとって両親が別々の生活を始めることは辛いこと。そのころから、仏教の教えを信じていくようになったと言います。

何をするにも理由がなく、理由を求め、地域のグループとつるみ、夜はクラブへ行き踊り狂ったりしたといいます。

やるせない毎日。生きる意味が分からなくなった日々。失敗も増え、生きていること自体が失敗だったのではないかと自問自答し続け、頭を悩ませた日々。

そんな彼女を救ったのはいつでも本との出会いがありました。
本は著者の考え、感覚がすべて詰まった傑作。行動の裏の理由を見つけるために本屋に行って、ひたすら世界観に浸ったといいます。
日本人著書「嫌われない勇気」も今のDanaさんの考えに大きな影響を与えました。

 

– 自分の経験をシェアするコミュニティがあることで人は将来を思いっきり生き抜くことができる

「私自身も、人生に失敗して、本という存在がなかったらを考えると今頃死んでたかもしれない。」今日の台湾人でも親や先生に人生の生きる道、やるべきことを強要され、自分というものがわからなくなってしまう人が増えているといいます。

 

失敗も経験のうちというけど、人はわざわざ失敗しなくてもいい。
それよりも自分がどう生きるかを明確化させてその過程のなかで失敗することを恐れず道を歩むべき。

 

失敗しても守ってくれる人がいるから、失敗すること自体になれていない今日の人々。

自身の経験から、生きる道を明確化させたときの失敗が最も人を豊かにする、と明言しているDanaさんは自分の人生のストーリーや繋がりをもたせるために何度かセミナーを開催しています。

繋がり、人生ストーリーをシェアする経験を求め、セミナー初回は30名が集まったのにも関わらず、現在では200名を超える応募があるといいます。

 

We want more relationships, We want someone we wanna talk.
Ability is not followed, who cares. Living concept will be followed.

 

繋がりを求め、誰かと話したいと思うのが人間。
もはや、才能よりも人間力が試され、何をするかで評価される。

 

– 美しい女性とは

Danaさん自身、幼少時代から自分自身が「女性」と意識し始めたのは遅かったため、あまり「女性であること」自体について考えたことはなかったといいます。

台湾でも、日本と同じで亭主関白時代が長かった歴史的背景があり、現在では男女平等の社会へ変革してきているといいます。

そのうえで、美しい女性、とはどのような女性か。

 

他者になにかされたり、なにか言われても動じない女性。

 

とDanaさんは言います。
自信があったり、経済的にも独立している女性は多くなってきているが、他者とのコミュニティのなかで生きているとどうしても他人の目線を気にしすぎ。
それでも自分のやっていることや発していることに自信があってなんとも思わない女性は強いし、Danaさん自身も目指しているところだそうです。

ただ、女性の社会的立場が高まるなか、男性ばかりに変革を求めるのは違うのではないかとも言います。

男性も男性で、専業主婦のお嫁さんをもらったら、家族分の生活費を稼いでいかなければいけないプレッシャーがある。

 

本質の意味での「男女平等」社会の実現のためにするべきこと。
男性もプレッシャーを感じていて、そのプレッシャーを女性が理解すること。

 

人は誰でも弱さがあり、その弱さをシェアするコミュニティを作ることで少しでもその人自身の生きる道をコンサルしていくDanaさんは強く、芯から輝いていました。
私自身もインタビューしながら、学びを多くいただきました。
自分が選択した道での失敗を恐れず、自分で物事を考えていくことで自分のなかでの解がみつかり、大きな自信につながります。
Danaさんありがとうございました!

Thanks very much Dana san! I wish to see you again and hear about your next story:)

”noii noii”ブランドオーナーEstete Hsueh

– Profile

台北で活躍する「noii noii」ブランドオーナーのEstete Hsuehさんをインタビュー。
芸術学校で国内No.1の實踐大學を卒業し、台湾人デザイナーのもとで働いたあと、自身のブランドを立ち上げました。

そんなesteteさんの独特な世界観やブランド立ち上げにいたるまでの経緯を取材。
将来の夢などを伺いました。

スペイン大好きで陽気で愛らしい雰囲気をもったEsteteさん。
ぜひ、ご覧ください^^

– 小さいころからモノづくりが好きだった

父と母とミュージシャンの姉の4人家族で台湾で生まれ育ったEsteteさん。
幼いころからモノづくりが好きで、とくに粘土で何かを作るのが趣味だったそうです。
その影響で芸術の道へ進み、大学では芸術で有名な實踐大學に進学。
150名を超えるクラスメイトとともに切磋琢磨しながらファッションデザインを専攻し、課題をこなす日々を過ごしたそうです。

実際にEsteteさんが自分自身でデザインし、パターンからファブリック、すべて自分で作った作品。
制作時間は2週間で毎日の睡眠時間はほぼ3時間で仕上げたそうです。
ボタニカルスタイルで当時にしては珍しいデザインで周囲からは「何を作っているの?」とよくからかわれたりもしたといいます。
周囲からの目を気にせず、自分がいいと感じたものを大切に。制作に臨んだ結果、2012年に作成したこのデザインはなんと学年で1位を獲得。

 

インスピレーションは日常に溢れているの。このとき、一位をとれたことは正直なんとも思わなかった。その代わり、周りになんて言われようと自分が感じる感性を信じることが大切なんだって知れたことが大きな財産だったの。

 

自分の世界観を表現することに興味をもち、体現できる喜びを自分が一番理解していて周りにもその雰囲気が伝わったのか、クラスメイトには「Esteteは将来ブランドオーナーになるんでしょう。」とよく言われたそうです。

– スペイン・サラマンカ大学へ留学


国立台北芸術大学を卒業後は、在学中も大好きすぎてちょくちょく訪れていたというスペインで一年間過ごしたEsteteさん。

スペインに興味を持ち始めたきっかけはスペイン語の「感嘆記号」がかわいいから。という理由だそう。
デザイナーの感性らしい理由だとスペイン人に言われたそうです。

スペインでは友人と過ごしながら、スペイン語を勉強に励みました。
スペインの文化や雰囲気が大好きでこれまでに一人で4度も訪れたそうです。

– noii noiiブランドを立ち上げるにあたって

スペインから帰国後は、実際にブランドのアトリエで働きたいと思い、有名ブランドデザイナーのもとで働くことになったEsteteさん。
これまでの知識をフル活用しながら、ビジネスの世界を経験できると思い、気分は高揚していたそうです。
しかし、そこでの仕事は地獄そのもの。3か月間、無給で毎日夜の1時まで仕事をしたといいます。

せっかく入った世界。もうすこし自分ならやれると自分に鞭をうちながら、4か月間働き、
その後は、自分で作りたいものをマネジメントできるような環境で働きたいと思い、
ついに退職。自分のブランドを立ち上げることになりました。

noii noiiは現在、ファッション、陶器、小物プロダクトを展開中。
なかでも、陶器はEsteteさんが一番得意とするプロダクトだそうです!

– noii noiiブランドを海外展開したい

最後にEsteteさんにブランドの将来についてお話を伺いました。

 

私自身、海外旅行が大好きなんです。
何かおいしいものを食べたり、観光地に行くことも好きですが、一番は未知の世界に触れる感覚が好き。
ああ、今わたし最高に生きている!と感じるんです。
だから、台湾人のわたしのブランドも世界に展開して、
みんなに新鮮な気持ちを届けたい、そう思うんです。

 

インタビューを通して、世界にも私自身と同じくらいの歳で戦っている戦士がいたんだなあ、としみじみしました。
今回の台湾トリップで、台湾人は日本人よりも必死に生きている人が多い印象を受けました。
会社に守られながらなまぬるい環境で生きている日本人に世界にはこんなに戦っている戦士がいたんだぞ!と伝えたい想いに溢れながら、いま記事を書いています。
引き続き、Esteteさんとコンタクトをとり、日本にブランド展開する際に少しでも手伝うことができるようにわたしもがんばりたいなって。

Thanks Estete and love you lots!

ミスコン世界大会出場者が話す国内ミスコンのリアルとは

– PROFILE

昨年フィリピンで開催されたミスアジアパシフィック世界大会に日本代表として選出され、世界でご活躍された夏生さん。輝かしい功績ながらも常に低姿勢で、インタビューをする側の関係者のことにも気遣ってくれるお姿が印象的でした。

「夢に向かっていろんなことに挑戦しながら、一生懸命になることの大切さ」や「海外と国内のミスコンの現状」についてお話しくださいました。

ぜひ、ご覧ください。

 

– 高校生の時の夢は「宝塚スター」

(写真: バレエを踊る夏生さん)

幼いころからバレエ教室に通い、20年間踊り続けた夏生さん。踊ることや表現することが好きな夏生さんの高校生のときの夢は「宝塚のスター」だったそうです。

その後は長崎県にあるハウステンボスでのダンサーを経て現在は、都内でOLとして働いています。都内で働きながらも、踊ることや表現することが好きな夏生さんは自分の可能性を広げるため、ミスコンに挑戦されました。

 

– ミスコンで自分を磨く

初めて出場したミスコンのミススプラナショナルジャパン2016ではいきなり茨城県代表として選ばれ、全国大会に出場。

周りはミスコン経験者やモデルの方がいながらも、自分自身を信じ、堂々とした演舞を披露されました。

(写真: ミススプラナショナルジャパン2016茨城代表として活躍された夏生さん)

ミススプラナショナル日本大会はファイナリストがみなフレンドリー。楽しみながら本番を迎えたものの、終わった後にはもっと挑戦したい、という気持ちが残っていたそうです。

そんな気持ちもあってか、その後はミスグランドジャパン日本大会に挑戦し、見事ファイナリストとして選ばれ、ご活躍されました。

(写真:ミスグランドジャパンでの美しいドレス姿)

(写真:ミスグランドジャパンでの鍛えられた肉体美)

ミススプラナショナル大会からたったの約3か月後での出場となった舞台。
短期間にも関わらず、オーラも倍になり美しく輝く姿で舞台を彩りました。

何度も目標に向かって挑戦できるモチベーションはどこからくるのか、を伺うと

 

「なりたい自分になるために目の前のことをただひたすら楽しみながら頑張ってきました。」

 

という夏生さん。楽しく、自分の目標にむかって頑張るのがコツのようです。

ミスグランドジャパン出場後、なりたい自分にむけてさらに挑戦するため、ご縁もあって海外のミスコン「ミスアジアパシフィック」に日本代表として出場。
ミスコン出場者なら、誰もが憧れる世界の舞台に立ち、国内と海外のミスコンの違いを知ったそうです。

(写真: 各国代表が勢ぞろい)

同じ期間に同時に各国の代表が集まり、約2週間をともに過ごしながら各国の文化をアピールしていきます。
自分自身はもちろん、ひとつの国の代表として国の文化を広めていくミッションは精神的にも肉体的にもハードなものだと想像します。

また、各国の代表とのコミュニケーションはもちろんすべて英語。
主言語が違う代表同士、常に笑顔でコミュニケーションをとっていく難しさも知ったそうです。

(写真: サッシュをつけて各国の代表と共に撮った一枚)

カメラを向けられるとみんな一斉にポージング。代表として常にプロ意識を保ちながら二週間を過ごします。

 

壁はたくさんありました。

各国代表とともに過ごしてきて、

慣れてくると異文化の違いなどの話を伺えて、

ほんとうに有意義な時間でした。

 

と言う夏生さん。ふつうの生活をしているとなかなか各国の人と出会えないので、ほんとうに貴重だったといいます。

(写真: 各国代表と写る夏生さん)

(写真: 日本代表として日本を背負い、舞う夏生さん)

初めて出たミスコンと比べると、オーラや輝きが一層増した夏生さん。
この二週間、楽しいことばかりでなく大変なこともあり、壁を乗り越え、立派に日本代表として堂々とされています。

 

– 海外と国内のミスコンの違い

海外と国内のミスコンを両方経験された夏生さんから、違いについて伺いました。

国内のミスコンは、同じ国で同じ目標にむかって切磋琢磨できる仲間と出会い、同じ言語でスムーズにコミュニケーションをとれる仲間と出会えます。目標や夢が似ていることもあるので大会が終わっても仲良くなれる友情も生まれます。一方で、社会的にも地位が低いことから大会の運営自体が整備されていないところも多く、大会までの準備期間の援助がすく兄です。衣装なども自分で用意して出場者に負担がかかることが多いです。また、文化的にも「可愛い」という美意識にそって公平に審査されにくいこともあり、なかなか実力だけで勝てることは少ないと感じました。さらに、大会で優勝できたとしても、それだけで暮らしていける現状はありません。

海外のミスコンは、各国代表との素晴らしい出会いを経験できて、異文化を知れます。なかには、ミスコン大国のフィリピンなど、ミスコンで優勝すれば一生暮らしていけるくらいの代表もいるため、人生を背負って戦っている子もいました。一方で、開催国によって人種差別を感じたことも少なからずありました。私の場合は、フィリピンが開催国だったので、黒人の子にはメイクの順番がなかなか回ってこなかったり、ファンデーションなんて必要ないでしょ、とメイク担当に言われていたりしました。海外の人と暮らしていくには柔軟性が必要だと感じました。

 

– 将来はCAになりたい

そんな夏生さんの将来の夢は「CAになること」だそうです。
両親が海外旅行が好きな影響もあり、幼いころから世界を知る機会が多かった夏生さん。初めて乗った飛行機はJAL航空だったのがきっかけで将来はJALのCAとして世界各国を旅したい、といいます。

 

いくつになっても「夢」を持ち続けて

ダメだったとしても粘り強く、挑戦していきたいです。

 

– 美しい女性とは

最後に「美しい女性」とは夏生さんにとってどんな人か、を伺いました。

 

私の考える美しい女性とは、

・常に目標や夢、興味があるものをもっている人

・後悔のない時間の過ごし方をする人

・自分にとって最高の道と思うことを選択し、実現している人 だと思うんです。

 

なぜなら、人生は限られているからです。いつ死ぬかわからないし、いつ身体が動かなくなってやりたいこともできない状況になるかもわからない。
わたしは行動しなかったらいつか後悔する日がいつか来ると思うので、目標にむかって何か行動をするにしても行動するには勇気がいりますが、とりあえず行動してみます。

そうは言っても、行動したことに対して後悔することもあります。ただ、その後悔が人を成長させてくれることもあります。
なので、たとえ後悔したとしても、自分が最高に輝けるものを自分で選択して、自分に正直に生きてる方が美しい人だなと思うんです。

目標や夢をもっていればそれを叶えるために少なからず緊張感が生まれます。適度な緊張感って美しさ保つために必要な事だと思います。
周りの目が気になることも大いにあるけど!! 自分に正直に、やりたいと思うことはやる選択をして、違うと思うことは違うと自分自身で選択できることこそ美しさにつながるのかなって。

よく、周りにミスコンに出るなんて、自分に自信があっていいよねとか言われることもあるけど、「いい」と感じるなら、まずは行動してみてってまずは思うんです。
わたしはただ、純粋になりたい自分になるために努力しているだけなんです。

まだまだこれからも自分の目指す「美しい女性」になれるように努力していきたいと思います。

(写真: ミススプナショナル2016での集合写真)

自分のなりたい自分になるために夢をもち、挑戦する夏生さん。
ディズニーが好きで愛らしい雰囲気ながらも自分をもち、頑張る姿は美しいです。
夏生、ありがとうございました^^

金融機関で働くミスコン世界大会日本代表が伝えたいこと

– PROFILE

 

元競泳選手で現在は金融機関に勤めている唯香さん。小学生のときのあだ名は「ジャンボ」で170㎝の高身長をコンプレックスに感じていた反面、すらっとしてきれいなモデルさんに憧れていたそうです。

ミスコンには25歳のときに初出場。「わたしが努力したことによって、みんなにハッピーを少しでも与えられたらそれでいい。」と語ってくれた唯香さんの眼差しは清らかで、眼の奥で燃える魂を感じられました。ご覧ください。

 

– 小学生時代のあだ名は「ジャンボ」身長がコンプレックスだった。

 

自分のなりたい理想の姿と現状とのギャップに幼いころから感じていた唯香さん。

小学生になり、すでに身長が170㎝あった唯香さんは周りから「ジャンボ」と言われ、笑ってごまかしながらも心の奥ではずっとコンプレックスだったといいます。
当時、なりたい自分の姿は、テレビで見たすらっとした美しいモデルさんでした。


(写真:競泳中の唯香さん)

身長をコンプレックスと感じながらも、5歳のときから続けている競泳を夢中になりながら仲間とともに練習に打ち込んだ結果、全国大会に出場する選手としてご活躍されました。
夢中になれる特技を身につけ、いつものように練習に励んでいた最中、怪我してしまい、競泳ができない時期もありました。
やっと見つけた夢中になれることも、ついにできなくなってしまった自分。
唯香さんの心の中で大きな喪失感が生まれ、ひたすらに落ち込んでいたそうです。

そんなとき、自分が落ち込んでいていても誰のためにもならないことに気づいたそうです。

 

暗い自分のもとには人は寄ってこない。

私が頑張らないと、周りも幸せになれないんだって。

 

そう気づいた唯香さん。自分が努力したほうが周りにも迷惑をかけない。わたし自身が積極的になってほうが、自分自身も成長できるし、周りにもいい影響を与えることを知った経験だったと話してくれました。

 

– 努力したら、出場できるミスコン。

競泳選手として活躍する日々、友人にふと「唯香、こういうの興味あるんじゃない?」と言われて紹介されたミスインターナショナル日本大会。
当時は本郷りらさんが日本代表になった年で、美しい女性が美という評価のもと切磋琢磨する姿に惚れ惚れしたそうです。
「わたしも努力したら、もしかしたら出れるのかもしれない。」そう思いながらも、ご縁があってかつてのミスインターナショナル日本代表の金ケ江悦子さんとも出会いました。
輝く女性たちとの出会いのなか、唯香さん自身のなかで「いつか出場して、日本大会で勝ちたい。」という気持ちが芽生え始めてきました。


(写真:ミススプラナショナル2016での唯香さん)

初めて、世界五大ミスコンのミススプラナショナル日本大会では西東京代表として出場した唯香さん。何もかも初めての経験で、 ひたすらに「楽しかった」気持ちが大きかったと言います。

その反面、「もう一度この舞台に立って、絶対に勝ちたい。」気持ちも生まれました。
翌年、「今度は絶対に勝ちたい!」とミススプラナショナル2017に再エントリー。再び、代表として舞台に上がりました。


(写真:ミススプラナショナル2017での唯香さん)

二回目のミスコンも同じミススプラナショナル大会。初のミスコン出場から1年後の唯香さんは、ますます美しく、オーラも倍となった姿が見られます。

(写真:ミススプラナショナル2017ドレス審査での唯香さん)

美しいドレスを身にまとい、清く優しい眼差しの奥に見える熱い志がお写真からもうかがえます。

 

絶対に勝ちたい、という気持ちが強かった。

支えてくれた沢山の人に、結果で返したかったから。

ミスコンは一つの競技スポーツと似た感覚だと思うんです。

元競泳選手だからこそわかるミスコンの「過酷さ」を身をもって知ったという唯香さん。

 

– 日本代表として世界へ。

(写真:日本代表としてミスコン世界大会での活動の様子)

ミススプラナショナルでは、結果的に優勝できないまま、ミスコン人生は終える予定だったという唯香さん。
唯香さんの強い気持ちや美しさが認められた結果、ご縁あって日本代表としてミスコン世界大会への切符を手にいれたのでした。
初めてのミスコン大会から数年で世界が認める美しい女性へと変貌された姿はお写真からも伝わってきます。


(写真:自信にみちあふれ、美しく輝く唯香さん)

一方で、日本にいる友人からの応援もあってうれしかった反面、その声援が大きい大会に出場する度に「すごいね」となんとなく敬遠されているような気もしていたと言います。

 

「すごいね」ではなく、

唯香も頑張ってるから私も頑張ろうって

想ってくれる人がひとりでも増えたらうれしい。

 

誰かに刺激を受けて誰かが行動する。切磋琢磨できる状況が理想だと唯香さんは言います。

 

– 美しい女性とは。

 

そんな唯香さんが感じる「美しい女性」とはどのような人か最後に伺いました。

 

美しさって顔だけじゃないと思います。

それはオーラかもしれないし、髪質かもしれないし、強さかもしれないし。

人それぞれの美しさがあると思います。

誰もが無限大にもっているものなので、

自分を信じて、愛すことができる女性が美しいと

私は思います。

 

幼いころは、コンプレックスに思っていた身長も自分にしかない一つの個性だから。
愛してあげて、強みだと思えた瞬間、ふと自信をもてるようになりました。
日本女性は誰もが「美しくなるための要素」はもっていると思うんです。だって、世界も日本女性の美しさは認めているんです。

自分の心に素直に従って、成し遂げたい夢を夢中になって追い求めていると自然と自信もついてくると信じています。

自らのコンプレックスを克服し、ミスコン世界大会日本代表として出場した唯香さんの軸は強く、想いに溢れ輝いています。
これからは会社員として働きながら、自らの経験値を積みつつ自信に満ち溢れた日本女性を創出できるような活動をしていきたいといいます。

唯香姉、お忙しいなかありがとうございました^^

トータルビジュアル®
プロデューサーMANAMI

トータルビジュアル®プロデューサーMANAMI

 

良いものは良い。悪いものは悪い。物事の本質を見抜き、フェアな目線で常に物事をみているMANAMIさん。

自分の足で自分の道を切り開いてきたMANAMIさんは強く、たくましく、まさに「美しい女性」として自分の人生をしっかりと歩んでいます。

そんなMANAMIさんを独占インタビューさせていただきました。ご覧ください。

 

– 自分の人生は自分で責任をもつ

(写真:幼少時のMANAMIさん)

幼いころから、2人の弟と献身的なお母さん、教育熱心でつねに「自分の好きなことは好きなだけしていい。ただ、自分の将来は自分で責任をもちなさい。」というお父さんの教えのもと、育ちました。

お父さんの教えの影響もあり、自分の好きなことでしっかり稼いで自分で生きていく術が身体に染みついていたというMANAMIさん。

中学二年生のとき、すでに身長が170cmを超えていたMANAMIさんは芸能事務所にスカウトされ、芸能界デビューを果たしました。

幼いころから、漠然と弁護士になることを夢みていたそうですが、当時の芸能活動が楽しく、商業高校卒業後は18歳という若い年齢にしていきなり台湾へ渡り、モデルの仕事をこなす毎日を過ごされたそうです。

18歳で親元を離れ、生きる資金もすべて自分で働いて稼ぎ、生活する…。

相当な覚悟と決心がないとなかなかたどり着かない選択。

さらに、当時の台湾は後進国。先進国の日本人として生まれたMANAMIさんは、周囲からなぜわざわざ後進国に行くのか、とよく言われていたそうです。

 

– 台湾でのモデル業10年

(写真:モデルMANAMIさんの作品)

周りの反対をおしき り、台湾へ渡りモデルとして活躍するようになりました。当時は、「日本人」そのものにブランドがあり、日本人としての美しさを活かして仕事をしていたと言います。

 

そこにしかハマれない、自分だけの枠があった。

 

歴史的にみると親日派な国民性の中、熱烈な歓迎を受け仕事が絶えなかったそうです。

人気絶頂モデルとして活躍する反面、心の奥底で感じ始めていた台湾人のスペックの高さとのギャップ。台湾人モデルは、モデル業だけでなく、歌も歌えるし、ダンスも踊れる。キャスターやレポーター関係の仕事もでき、マルチに活躍している人が多かったそうです。

自分も何かモデル業以外の別の特技を探さないと.。焦る気持ちもあるなか、「これだ。」というものを見つけました。

 

– 他人の美をサポートする

(写真:メイクアップアーティストとして活躍するMANAMIさん)

「これだ」というもの、それは「誰かの美をサポートする仕事」でした。

もともとコスメが好きで、楽屋にあるコスメが常に気になっていたMANAMIさん。メイクの仕方を研究するため、台湾でメイクアップスクールに通い始めました。あるとき、モデルの友達の顔にメイクをした際、「MANAMIのメイクはTPOに合っていて、すごくいい!」と大好評。口コミでMANAMIさんのメイクの腕が伝わり、モデル業の傍ら、中華系芸能人のPVやスチールのメイクを手がけるようになりました。

 

最高の瞬間をつくるのが好きなんです。

 

日本人のセンスを活かし日本風メイクの啓蒙をしながらも、本人に似合わせることをポリシーとして裏方としてのメイクのキャリアを積んで行きました。

 

– 国際結婚、帰国、そして、離婚

 

日本に一時帰国したときに、留学生として来日していた台湾人の前夫と出会い、結婚。

当時の結婚の条件として、「男女ともに稼ぎがあって自立すること」だったそうです。

メイクアップアーティストとしてのキャリアを積むため、元旦那さんが「絶対売れること」を条件とし、スクールの費用を出してくれたそう。

スクールに通いつつモデル業をしていた10年間の台湾での生活を経て、30歳のときに帰国し、日本でのキャリアをゼロからスタートさせました。日本に移住し、仕事もプライベートも手に入れましたが、「絶対売れる」という条件の為に家を空ける時間が多くなり、もう少し一緒に過ごしてほしいという願う元旦那さんとたびたび喧嘩に。仕事や家庭でのストレスを他で発散しては帰宅という悪循環に陥り、離婚。

別れたあとは生活に必死。フリーランスとして無名の状態、メイク事務所にも年齢的に入れず、帰国したてでコネクションも全くない状態からSNSで日給3000円という仕事なども受けるほど、仕事を選ばなかったそうです。

 

– 13歳年下の理想の旦那さんとの出会い

(写真:旦那さんとのツーショット)

離婚し、プロのメイクアップアーティストとして、自分の足を使って営業に行き、美容家としてのノウハウを深めていきました。努力の甲斐もあり、徐々にテレビ出演オファーや雑誌コラム執筆オファーが増えてきたと言います。

台湾と日本の「美の基準」が全く異なり、日本では「綺麗」よりも「可愛い」寄りに作ったほうが売れる事実とのジレンマを抱きながらも自分でやりたいこと、できること、求められていることを見極め、とうとうメイク本の出版も果たした中、ライブハウスで現在の旦那さんに一目惚れされ、猛アタックを受けた後結婚。

出会った当時、美容師の夢を追いかけていた旦那さん。「ヘアメイク、ファッション、ウォーキングなど、本人の持つ見た目の素質やバックグラウンドと目指す肩書、持っている肩書にふさわしくなるよう、見た目すべてを整える」という仕事をしているトータルビジュアル®プロデューサーであるMANAMIさんの献身的なアドバイスもあり、今となっては都内の一等地のプライベートサロンでヘアスタイリストとしてご活躍されているそうです。

 

自分の好きなことを追うありのままの私を受け入れてくれる旦那さんと出会った。

 

ありのままの自分を受け入れてくれる素敵な旦那さんと二人三脚でそれぞれの夢を一緒に追う。誰もが切に願うような関係性を築き上げたのでした。

 

– プロの美容家としてマルチに活躍する現在

(写真:大学でジェンダーの講演をするMANAMIさん)

そんな過去を経て現在は何をされているのか。

人の外見や内面をサポートする「トータルビジュアルプロデューサー」として政界の方々や芸能人、企業家をメインとして教えられている傍ら、社団法人の責任者であり、中央大学法学部生として在籍し法律を学び、美をサポートする芸能事務所の運営、大学でジェンダーの講演をする。マルチにご活躍されています。

 

自分で学習し、その知識を人に伝える。伝道師のような役割。

私の知見でその人を「教育」できたら、幸せです。

 

25歳ですでにモデル業10年を迎えても、自分になかなか自信をもてなかったというMANAMIさん。そんなご自身の経験もあり、誰かが何かを始めようとするモチベーションを高めることが得意で、強みを瞬時に見抜き、「君は、すごいよ。できるよ。」と背中を押してきたと言います。

 

だれかの背中を押して、その人が人生のスタートをきれる喜び。

 

常にだれかの背中を押し、日々世に輝く人材を輩出されていきました。これからも世に自信をもった輝く人材を教育し、輩出していきたいと言います。

 

– 本質的な美を「追えない」日本のミスコンの現状

(写真:リハーサル中のMANAMIさん)

経営する芸能事務所に所属するモデルには日本のミスコンに挑戦する子もいらっしゃるそうです。

コンテスタントを育てる中で「じゃあMANAMIさんは芸名や今の肩書無しでも選ばれるの?」という問がくるのでは、と来るべき時に備え、ご自身もミセスのコンテストに出場され、見事入賞されました。

自身の経験と教え子がミスコンに参加する姿から感じたミスコンの現状。

それは、「本質的な美を追えないミスコン」でした。ミスコンで優勝できたとしても、1年間の任期を全うして終わり。世界と比べると日本での「ミスコン」の立場は地位として低く、日本代表のタイトル自体も価値が低い現状。

優勝できても一年後は飲食店でバイトをしながら暮らしてる。頑張るミスたちはたくさん存在します。

そんな現状を知りながらも、今なおミスコンに挑戦するミスたちは多くいることは事実。そんなミスたちはただ「目立ちたいから。」「自分に自信があって可愛い子ぶりたいから。」そんなモチベーションで参加する子は多くはないと言います。

 

ミスコンは、自分の想いを声にしてあげるために、

その声を大きくするためのひとつの通過点にしか過ぎない。

 

社会に対して「ここおかしくないか。」と本気で思い、悩みながら本気で社会を変えたいからミスコンに参加して発言力を強くする。ミスコンとはそういうものだと言います。

 

– 本当に「美しい女性」とは

インタビューの最後に「本当に美しい女性」とはどういう女性ですか、と伺いました。

 

定型文で話をしない人。

 

と、答えてくださいました。

「もちろん、外見的な美しさもあるけど、一番大事なのは話の内容だと思います。自分自身のいいところ、だめなところをオープンに自分の言葉で語る人の話は聞き手をそそるし、心に残ります。そんな人はよくミスコンでも優勝すると思うし、すごく美しいと思います。」

感じたすべての感情を自ら受け止め、理解し、ウソをつかずに真正面から向かい合ってみる強さを持てれば、自分のやりたいことや目指したい姿が見つかってくる。

ひとりの人間として、自分は何のために生きているのか、掘り下げてみること。そして、他人から褒められたことはしっかりと覚えておくこと。

そうすることによって、夢や目標が明確になり、自然と自信も沸いてきてなりたい自分に近づけるとMANAMIさんは言います。

(写真:編集影山とツーショット)

自分の成し遂げたい人物になるため、自分と他人にウソをつかずに夢に向かって努力を惜しまず、プロの美容家としてご活躍されいてます。お話を伺うなかで、ぶれない芯の強さを節々に感じました。

信念をもち、社会や人のためにご活躍されていて、まさに本質的な「美」をもった美しい女性です。

これからのご活躍から目が離せません。貴重なお時間、ありがとうございました。

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MANAMIさんの著書をご紹介

ミスユニバース2015福島代表のこれから

ミスユニバース2015

福島代表 前林里佳子さん

お会いした際も幸せな雰囲気に包まれて、穏やかでひとつひとつの動作に品がある里佳子さん。福島県出身で青山学院大学総合政策学部を卒業した後、将来は何をしようと漠然と考えていた際にミスユニバースと出会いました。

そんな彼女がなぜミスユニバースに挑戦したのかにフォーカスを宛てながらも、現在は何をされていて将来は何を目指していくのかについて伺いました。

ご覧ください。

– ミスユニバースとの出会い

福島県出身で幼少期をおしゃれなお姉さんと妹さんとともに過ごし、服作りが得意なお母さんと厳格なお父さんのもとで育った里佳子さん。

幼少時代からおしゃれをすることが大好きで、美容に明け暮れる日々を過ごしていたそうです。

当時、色白で綺麗なお姉さまに憧れて「お姉ちゃんのように白い肌になりたい」と美白成分が入った化粧品を使うように気を遣っていたと言います。

里佳子さんが18歳のとき、映画や広告が好きでクリエイティブなことを勉強するため、青山学院大学の総合文化政策学部に入学。専攻していたゼミではサウンドスケープを学ばれました。音から街の風景を考えたり、ユニークな方法でサウンドをクリエイトしたりしていたそうです。

自らを表現することに興味があった里佳子さんは、大学に通いながら芸能事務所に所属し、レポーターやモデル活動を経験されていました。

そんな里佳子さんが22歳のとき、旅行でロサンゼルスへ渡米し、異文化に触れ、語学だけでなく、美に対するアジア人と欧米人の価値観の違いを目の当たりにしたそうです。

米国の女性たちは、流行や誰かが美しいと決めたものに固執することなく、自分の個性を大切にする価値観に心動かされた里佳子さん。当時はまだ21世紀初期。「個性」を活かすことにまだ社会が抵抗を感じていた時代でした。

帰国後は、ふと立ち寄った本屋さんで「イネス・リグロン」というミスユニバースジャパンディレクターの著書に出会いました。

本の中には、イネスがもつ「個性を活かす」美意識とロサンゼルスで知った美意識の価値観が合致し、自分自身の価値観をさらに豊かに成長させたい想いからミスユニバースに挑戦したいと決意したそうです。

– ミスユニバースを通して成し遂げたいこと

23歳のとき、自分自身の可能性と語学力にさらに磨きをかけるため、フィリピンに渡った里佳子さん。日本やロサンゼルスとは全く逆の経済化で過ごす子供たちや街の様子を見て衝撃を受けたといいます。生きるために物乞いをする子供たちの必死で純粋な姿を見て自分は何のために、そして誰のために生きるのかを改めて考えさせられた時期でした。

環境が異なるフィリピンで通っていたスクールでは、愉快な先生や友だちと共に英語を猛勉強。

2ヶ月間のセブ島での送別会では、愉快な先生(写真真ん中)が出し物の一貫として最後みんなでミスコンイベントをやろう!と提案。先生に指定された服を着てポージングやウォーキングの指導も受け、ここでも日本との違いに衝撃を受けたそうです。

 

まずは「あなた」が自分自身をよく知ることから始めて。Rikakoは何者なのか、理解して初めて「あなた」という個性を自信もって表現できるのよ。

 

先生に言われた一言で、それまでお姉さまのようになるために美白になる努力をしていたように「誰かのようになるため」に自分を理想に近づけていた里佳子さん自身にはじめて気づかされました。

自分は自分でしか理解できないし、外見内面ともに己を知ることで人は個性を輝かせることができる。フィリピンでの出会いと教えが、それまでぼんやりと描いていたミスユニバースへの道を大きく切り開いたのでした。

 

– ミスユニバース2015福島代表での活動

はじめて出場したミスユニバース2015福島大会。自分自身の個性を信じて努力を続けた結果、見事優勝し代表に選出され全国大会に出場されました。

フィリピン留学で出会った先生の言葉とイネスリグロンの自分自身を輝かせるマインドを知り、トレーニングをして得た結果でした。

全国大会は、当時、フランチャイズ化されていた影響で、イネス・リグロン氏がディレクターとして在籍していたミスユニバースジャパンと異なる現状に衝撃をうけながらも、ずっと夢みていた舞台に自分が立てたことに感動と喜びを感じることができ、自分を成長させる大きなステップだったと里佳子さんは言います。

 

– ミススプラナショナル2017福島代表での活動

ミスユニバース大会後はご縁もあり、世界五大大会のミススプラナショナル2017の福島代表として活躍された里佳子さん。二年前の経験を活かして再度出場した舞台。さらに磨きがかかり、オーラが増しています。

ミススプラナショナルは、日本一フェアな大会と言われ、出場したファイナリスト同士も仲良し。そんな大会だからこそ、なおさら自分自身の個性を信じて舞台に立つことができました。

 

-ミスユニバース2015福島代表のこれから

現在は、地元の福島で劇団120enの劇団員としてご活躍されている里佳子さん。

劇団120enの温かい想いに感銘を受けたのがきっかけで入団を決断されました。

初舞台は、福島市にある重要文化財の「旧廣瀬座。」

由緒正しい舞台での初舞台では、団員全員で1つのものを全力で作り上げる素晴らしさを知ると同時に、実際にお客さんと接して自らの未熟さを知ったそうです。

 

目の前のお客さんにこの舞台を観てよかった、と心から思ってもらえるようにお芝居がうまくなりたいと強く思ったし、そのために一歩一歩成長していきたいです。

(写真前列一番右が里佳子さん。)

熱い想いをもった仲間と共に、毎日稽古に励んでいる里佳子さん。

 

お芝居は、人の心にずっと寄り添っていくもの。すこしでも、人々の心を動かすころができれば、永遠に人の心のなかで生き続けると信じているんです。それがお芝居の魅力だと思います。

 

と里佳子さんは言います。

 

ミスコンを通して、自分自身をよく知り、自分が一番輝く方法を見つけ、人のため、そして自分のために人生を生きる里佳子さん。

美しい女性は、己を知り、自分の人生を迷いながらも自信をもって生きていることがわかる素敵なロールモデルとなり得る存在ですね。

2018年の2月4日に福島テレサFTホールで新しい舞台の稽古に毎日励んでるそうです。舞台作品から装飾、演出まで全て劇団員やサポートメンバーが中心となって作り上げる舞台。「すべては観客のみなさまのため」に。

夢にむかって自分の信じる道をたくましく歩む女性は美しいです。里佳子さん、ありがとうございました。

(写真:ミススプラナショナル2017でのツーショット)